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そんな彰良なら、きっと一緒に悩んで、答えを出してくれる。だって、いつだってそうだったのだから。思い切って口を開く。
「うん。文化祭のクラス展示のことで、ちょっと」
切り出すと、彰良はそのまま那月のキャンバスに近いところにあった椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。じっくり聞いてくれるつもりなのだ。少し胸が軽くなる。
那月もキャンバスの前に置いてあった椅子に座った。詳しい説明を話し始める。
「ホームルームの時間にね、係決めをしてたんだ。僕は余ったところでいいかなって思ってたんだけど、でも看板係になりたい人がいなくて、それで誰かが美術部の人に任せればって言いだして」
我ながら下手くそな説明だな、と那月は頭の隅で思う。けれど、目の前に座る彰良はまっすぐに話を聞いてくれている。こくりと唾を飲み下し、また話しだす。
「それで推薦されて、僕が看板係になっちゃったんだ。でも僕、人に頼まれた絵って上手く描けないから……去年の美術部の企画展示のときも、僕だけ似顔絵が描けなくてみんなに迷惑かけたし。今回だって、全然描けない。ちゃんと頼まれたものを、みんなが望んでるような絵を描こうと思うのに、全然描けないんだ」
情けなくて、鼻の奥がつんと痛む。那月は膝の上のこぶしをきつく握りしめた。
頼まれたことをやり遂げたい。期待に応えたい。みんなが望んでくれている絵を描きたい。
本当は、いつもそう願っていた。クラスのお楽しみ会の絵を描いたときも、クラスメイトたちが自分の絵を見てはしゃいだ声を上げてくれるところを想像していた。定年を迎える先生の似顔絵を描いたときも、学校を去る先生を笑顔で気持ちよく送り出したかった。去年の企画展示のときも、彰良たちに頼まれた絵をきちんと仕上げてみんなの役に立ちたかった。
なのに、それができない。
自分の思う絵しか描けない。自分の好きなものしか描けない。
知らぬ間に俯いていた那月のつむじに、「でも」と声が静かな振ってきた。それは紺青の空に浮かぶ満月の光のような、静謐で真摯な声だった。思わず顔を上げる。
「好きなものを好きなように、思うがままに描けるのはお前の魅力だよ」
いつものようにあっけらかんと笑っているのかと思った彼の顔は、これまで見たことがないほどに真剣だった。強い光を宿した黒い瞳が、まっすぐな矢のように那月の胸の真ん中を射抜く。
「だから、好きなように描けよ。お前の絵のいいところをわざわざ削ってなくそうとするなよ」
心の中を、ざあっと音を立てて風が吹く。風が水面を揺らすみたいに心が動く。那月は目を見開いた。
まさか、そんなふうに言ってくれるなんて思わなかった。自分の嫌なところ、情けないところを、まさか「いいところ」と言ってくれるなんて。
「……でも、本当に大丈夫かな」
「案外なんとかなるもんなんだよ、そーいうのって」
唐突に背後から飛んできた声に振り返る。いつのまにかすぐ後ろに立っていた芙雪が、うんうんと訳知り顔で頷いていた。
「聞いてたの?」
「聞くも何も、こんな狭い部屋の中で話してたら全部筒抜けだぞー」
呆れたように笑った芙雪が、「ちなみにさ」と少し真剣な顔つきになる。
「その推薦してきた子、誰だったか覚えてる?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。不思議に思いながらも、那月は一生懸命に自分を看板係に推薦したあのポニーテールの女子の名前を思い出す。
「えーっと……、確か、高城さんって名前だった」
「ふうん、高城さんね。彼女は何の係になったの?」
「同じ看板係だよ」
「そっか。ならマジで大丈夫だよ。那月が気負い過ぎる必要はない」
「えっ、どうして?」
那月はまじまじと芙雪を見た。
「彼女とは一年のとき同じクラスだったんだけど、デザインとか考えるの上手いよ。那月のクラスの学級旗を作ったのも彼女だし。たしかイラスト部に入ってるんだ」
「そうなの?」
自分のクラスのことなのに知らなかった。それを当然のように芙雪が知っていたことに、彼の人脈の広さと情報網の緻密さを感じる。
「だから万が一那月が描けなかったとしても、高城さんが喜んで描いてくれると思うよ。だから、とりあえず彰良が言うように好きなように描いてみたら?」
「うん。そうしてみる」
那月はこくりと頷いた。
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