アネモネ

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太平洋戦争末期の1944年(昭和19年) 長野県の閑散とした山村に生まれ育った私のもとに一枚の召集令状が届いた。 通称"赤紙"と呼ばれる臨時召集令状が、長野県を所管する長野連隊区司令部で発行され、役場の兵事係の手によって我が家にもたらされたのは、日が陰り始めた一昨日の夕方のことだった。 当時、私は所用があって不在で、 留守居をしていた母が押し頂くように受け取り、 心にもなく"有り難き幸せ''と歓喜の言葉を口にしたのは言うまでもない。  四年前に父親を兵隊に取られ、一昨年跡取りの嫡男もその後に続き、あまつさえ今年私が出征すれば残さるるは年老いた祖母と母親、妹二人に、父が出征した年に生まれた三男のみで、力仕事が必要な農家の働き手は居なくなってしまう。  そんな家が此の村には何軒もあり、村に残された青年男子は徴兵検査ではじかれた丁種・戊種ばかりで、そんな彼等も農家の働き手としてどうかと問えば、不合格となった理由を考えれば答えは明らかだった。 "必ず生きて帰れ" と、 決して涙を見せずに笑顔で送り出す母も祖母も、 先年に同じように送り出した二人の行末を鑑みれば、遠く叶わぬ願いであろう事は百も承知だろう。 そんな私には親が決めた許嫁がいた、 分家する程の土地や財産を持たぬ農家では、 長男が本家の跡を取り、次男・三男は跡取りのいない他家に婿養子に入るのが一般的で、物心がついた頃には既に両家の縁組は決まっていた。 お相手の女子は村でも一番の資産家の娘で、妹はいるが跡取りとなるべき男子は生まれ出ない、 家の存続を危ぶんだ当代が、いち早く娘の婿取りに奔走して、めでたく縁組の運びとなった訳だが、 当の本人達は幼すぎて実感がわかなかった。 「初めまして辰哉さん、  透子と申します。宜しゅう」 尋常小学校の三年生で、二つ年下の透子と初めて顔を合わせて以来、 私と彼女は同じ学校生活を送っていた、 低学年のうちから整った目鼻立ちをしていた彼女は長じては誰もが羨む器量良しとなり、私の方が不釣り合いに思えてならなかった。 親が決めた縁組とはいえ、透子は一途な好意を私に示してくれていた。 「辰哉さんは、お子は何人お考えですか?」 「貧乏でも子沢山の方がいい、家の中が賑やかになる」 私に優しげな眼差しを向けそっと頷いた、 「私もそう思います、、」 それが本心か否かはさておき、 男を立てて恭順する態度は、やはり誰もが認める器量良しなのだろう。
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