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「あの、濡れますよ」
声をかけられたと同時に、誰かが僕に傘を差し出した。
傘を差し出してきた人に「風邪ひきます」と言われながら、僕は呑気にあの日と逆だななんて思っていた。
「すみません。ありがとうございます」
「いえ。あの間違っていたら申し訳ないのですが、神田蓮さんでしょうか?」
誰だこの人と思いながら「はい、そうです」と答えた。
「失礼ですが、どちら様ですか?」と聞くと、その人は「すみません」と慌てながら、鞄の中から封筒を出しながら答えた。
「看護師をしています、真田と言います。これを渡して欲しいと彼女から預かってきました」
そう言って真田さんは、先ほど鞄の中から出した封筒を僕に渡してきた。
看護師さん?彼女?とよくわからない中、僕は封筒を受け取った。
「えっと、看護師さんがなぜ僕に?それと彼女というのは?」
真田さんは首を横に振り、私からは何も、と答え、封筒の中を見るように言われた。
僕はこの状況に困惑しながらも言われた通り、封筒の中身を取り出した。
手紙のようなものと見たことある桜柄のヘアピンが入っていた。
「このヘアピン…」
「はい、彼女の、桜子さんの物です」
「なんで」
「桜子さんは、昨年の春にお亡くなりになりました」
僕は息を呑んだ。
「桜子さんから、よく貴方のお話を聞かせていただいていました。それで、頼まれていたんです。この手紙とヘアピンを貴方に渡して欲しいと」
桜子が亡くなった。
言葉が出ない。言われたことが上手く処理できない。
どうして、なんで。
「なんで、桜子が」
「彼女は小さい頃から持病がありました。治すことが難しい病気です」
「そんなこと聞いて…」
「私からは何も言えません。ただ桜子さんからは、手紙を読めばわかると」
僕は恐る恐る手紙を読み始めた。
病気のこと。僕と過ごした日々のこと。あの日の約束のこと。その約束を守れなかったこと。そして、僕を好きだったこと。
手紙から彼女の全部が伝わり、様々な感情が溢れ出そうになった。
「届けてくれて、ありがとうございました」
「桜子さんとの約束だったので、渡せることができてよかったです」
真田さんは「私はこれで」と言って、傘を仕舞い、歩き出した。
いつの間にか、雨は止んでいた。
張り裂けるほど、この想いが苦しくて痛い。
大事に心に終おうと思ったけど、やめた。もうここに来るのもやめようと思ったけど、やめた。
「また、会いに来るよ」
何もかもが手遅れで、今更になってしまったけれど。
桜柄のヘアピンを大事に握り締めて、桜の木に向かって笑いかけた。
「僕も君のことが好きだったよ。会いに来てくれて、ありがとう」
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