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プロローグ 勇者、世界を救う
「鈍いし頭かたいし不器用だし理想高いし恋愛に夢見すぎだし、そんなんで結婚できるわけないじゃん!この駄勇者!!」
そこまで言わなくてもいいじゃないかと悲しくなってしまう程に俺を罵倒するのは異世界から来た女性。当然こんなことをしてほしいが為に呼んだわけではない。
何故このようなことになってしまったのか、俺達の関係を説明するには少しだけ時を遡る必要がある。
約一か月前、俺達勇者パーティは魔王の力を封印することができた。半年間にわたる冒険の軌跡に信頼できる仲間との運命的な出会い、三回の変形と破壊した部位の蘇生能力を持つ魔王との壮絶な戦いについて語りたいところではあるが今は関係が無いので省略する。問題はその後の話だ。
魔王を完全に無力化し、魔王領を制圧、悪意のある魔物を全て倒し戦う意思のない魔物にも念入りに脅しをかけたところで俺は二人の仲間と共に国王のもとへ帰還した。俺たちの勝利を心待ちにしていた王国民は勇者の凱旋に歓喜し、半年前なんの自覚も実感もない俺に勇者の称号を与えた国王は涙を流して俺達を迎え入れた。世界に平和が訪れた喜びの宴は二晩続き、俺は見ず知らずの貴族やら商人やら旅人やら村娘やらにかわるがわるお礼を言われ、こんなに貰ってもどうしたらいいかわからないと嘆くほどの礼品を贈られた。それは金品や武器はもちろん、珍しい織物や宝石、中には両親を魔物に殺されたいたいけな少女が手作りした花冠まで、とにかく全ての国民が思いつく限りの感謝を俺達勇者パーティに注いだ。
長旅に響く宴が終わった翌朝、俺は国王に呼ばれ王の間を訪れた。昨夜まで国総出の祭りを開いていたとは思えないほどに整った王宮は荒々しい野宿生活に慣れていた俺には非常に息苦しく思えた。俺は慣れない赤絨毯の上で見様見真似で跪いた。
「お呼びでしょうか、国王様」
世界を救った勇者でも、国家権力に軽薄に逆らうことはできない。寧ろ魔王を倒してしまった今、勇者という存在に特別な価値がなくなったものだから国王の機嫌一つで国を追放されたり首をはねられてはたまらない。
無論、俺の前で厳かながらも穏やかな笑みを浮かべるアルフレッド・リーヴェシュタイン国王がそのような薄情で愚かな人間ではない事を俺は知っている。国王は神の啓示を受けた下民の俺をなんの躊躇いもなく勇者と認め、可能な限りの手引きをしてくれた。まだ剣の扱いに心配のある俺を一人で旅立たせるわけにはいかないと王宮騎士長を護衛につけると言った程だ、さすがに過保護が過ぎるし俺よりガタイの良い男と旅をするのは恐ろしかったので遠慮したものだが。
「勇者デリック、顔を上げよ。貴殿にはそのような堅苦しい姿を見せて欲しくない」
嫌味の感じられないその言葉に俺は顔を上げる。アルフレッド国王は相も変わらずにこやかな表情で玉座に座っているが、どうやら前に出会った時よりも数倍はにこやかに見える。
魔王を倒して自分の国に平和が訪れたのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、この笑顔はそういうものではなく、何かに似ている。そうだ、俺の知り合いの粉ひきに初孫が生まれた時の笑顔にそっくりだ。
「貴殿が旅立ってからおよそ半年、最初はこの細身の青年が魔王を倒す勇者だと聞いた時は非常に驚いたものだが・・・大人になったな。あの日とは違う立派な顔をしておる。毎日剣を振った武骨な手も、仲間を庇った際に出来たその傷も、荒々しくも頼もしく感じられる。が貴殿・・・デリックがいればこのリーヴェは安泰じゃ」
世界を巡って改めて知ったが、俺の生まれた村を含むリーヴェ領は世界最大の広さと権力を持つ地域だ。つまりリーヴェの統治者であるアルフレッド国王はこの世界において強い権限を持つ人だと言える。始まりの日に出会った時はそれをよく知らずにただの偉い人だと認識していたが改めて考えると世界一偉い人と言っても過言ではない。
「そんな、俺にはもったいない言葉です」
多くの人から尊敬され、国を治める国王が俺の血にまみれた日々と汚れの取れない手を褒めてくれるのはとても照れ臭い。
「神に選ばれし勇者がデリックで良かった。儂は今改めてそう感じた」
しみじみと俺の成長を喜ぶ世界一偉い人。父親のいない俺にとってこの人が特別温かく感じるのと同じで、国王も俺の事を息子のように思っていたのかもしれないな。
「・・・さて、勇者ほどの勘の鋭い者ならば儂が何故ここへ呼んだかもう察しはついているだろう、回りくどい話はやめて本題に入るとしようか」
ん?ちょっと待て、褒められて終わりではないのか。確かによくよく考えてみれば魔王封印の感謝と褒美の話をするのなら仲間を呼ばないのはおかしい。なんだ、何故俺だけ呼ばれたのだ。宴の時に仲間のヴィルマが酔って王宮に飾られた鎧を勝手に着て壊したことを咎めようとしているのか、確かにあいつは酒癖が悪いが世界に平和を取り戻した勇者一行にその程度の気のゆるみを叱咤するのは心が狭いのではないか。
「え、ええ・・・そうですね、そうしましょうか」
他に思い当たることがわからず、何のことですかと聞けば国王を幻滅させてしまいそうでとりあえず知ったふりで相槌をうっておく。
「では、我が娘シェリノアとの婚約の話だが・・・」
「え」
「む?」
「国王、今なんと?」
「我が愛娘、シェリノア・リーヴェシュタイン姫と勇者デリックの婚約の話をこれからしていこう、と言った」
こんやく?紺薬?今厄?
「もしかして、婚約ですか?」
「そうだが、何故そのように惚けた顔をしておるのだ」
申し訳ないが全く想像していなかった。魔王を倒して三日で婚約の話になるなんて考えていなかった。
「な、何故俺を・・・」
「なんだ、今更謙遜しなくて良い。旅立ちの日に言ったではないか、勇者が魔王を倒した暁にはリーヴェの次期国王としてこの国を支えてもらいたいと」
「・・・・・・・」
言っていた気がする。
「シェリノアは丁度年齢もデリックの二つ下、まだ世間知らずではあるものの気立てもよく親の欲目を抜いても美人な顔立ちをしている。儂も息子が出来るようで喜ばしい、もちろん直ぐに式を挙げるとは言わないが国民を安心させるためにも婚約の発表だけでも先にしておくのが良いと儂は思うのだが・・・」
キラーキャットの逃げ足よりもはやく外堀が埋められている。冗談じゃない、確かにシェリノア姫は美しい女性かもしれないが俺は姫と結婚する気なんてない。
「ちょ、ちょっと待ってください国王。それではあまりにシェリノア姫が不憫ではありませんか?」
「なに?どういう意味だ」
「御覧の通り俺は無作法な下民出身、言葉遣いは乱暴だし貴族なら子供だって知っているようなテーブルマナーすらわからない。剣を振るう力はあっても政治を行う知識も器量もございません。そんな粗暴な男と突然結婚させられるだなんて、姫の気持ちを考えるとお受けすることは出来ません」
シェリノア姫だって俺のような男と結婚したいとは思わないはず。国王の娘である限り政略結婚を避けることは出来ないとしても、せめてもっと清潔感のある紳士的な相手を選ぶべきだ。
「勇者デリックよ・・・」
まずい、怒らせてしまったか。
「そこまでシェリノアの事を考えてくれているだなんて、儂は感動してしまった。やはりこの国の次期王はデリックしかいない。我が愛娘を預けられるのも君しかいない」
何故だ、非常に喜んでおられる!
「えっと、国王はよくても姫がなんと言うか・・・やはり本人の意思を尊重するべきだと思うのですが」
「心配はいらない、シェリノアは相手が勇者ならどのような人でも喜んでお受けすると言っていた」
「・・・はい?『相手が勇者ならどのような人でも』ですか?」
「あぁ、もちろん勇者があまりにも下劣な男だった場合は儂が何としてでも婚約を阻止する気ではあったが、先ほどの思いやりの言葉を聞いて儂は確信したよ、デリックなら安心してうちの娘を・・・」
「待ってくださいアルフレッド王!!」
ダァン!と俺の拳が力強く赤い絨毯を撃つ。周囲に待機していた兵士たちは慌てて俺を取り押さえようとするが国王は驚きつつも冷静にそれを止めた。
「・・・どういうことか説明せよ」
冷静ながらも、その表情はこわばっていて先程までの粉屋の親父そっくりの穏やかさはどこにもない。
「俺は勇者です。ですが、俺が勇者じゃなくても好きになってくれる人と結ばれたいと・・・そう思うのです」
恋人のいない俺が美しい姫との婚約話に気が乗らなかったのは話が急だったからだけではない。例えこの話が前々から告げられたことだったとしても、俺には納得できない理由があった。それは俺が勇者になるずっと前から思っていた事、当たり前だと信じていた事。そでなくてはいけないと感じていた事。
「肩書で結婚相手を決めたくはないのです」
そう、俺は恋愛結婚がしたい。ずっと昔から決めていた事だった。
物怖じすることなく真っすぐ言い放つ俺に、国王は怒るでもなく呆れるでもなく、ただ何かを咀嚼するようにゆっくりと頷きながら返事をした。
「勇者という肩書も含めてデリックという一人の人間の魅力だと儂は思う。デリックという一人の青年を語る時に勇者という事実を無視して話すことは出来ない。先ほど言った通りその血豆と痣だらけの手も、化粧では隠しきれない痛々しい傷も、勇者デリックの輝かしい軌跡の一つだと儂は思った、違うか」
「そうかもしれません。でも、俺はこの傷も、痣も、魔王と戦った勲章ではなくただの傷として見てもらいたいのです。俺が勇者である限り、俺の過去の苦労は悲劇になり、俺の活躍は英雄談となる。そう感じていただくのは嬉しいのですが、俺は許されるならばそれを知らない女性に好きになってもらいたいのです。勇者としての俺ではなく、デリックという苗字もないしがない一人の男を」
大国の姫との婚約を断ってまで俺の口から出てきた言葉は大人の事情を理解できないわがままな夢物語でしかなかった。肩書を捨てた恋愛をしたいだなんて、生まれた時から政略結婚が決められていた王族を前にして言って良い言葉ではない。そもそも、リーヴェの国王からの願いを権力のない個人が感情的に拒否するなど、首をはねられても誰も文句は言えない。
それでも俺は、この考えだけは譲れなかった。
「・・・その考えは変わらないのだな」
「はい。これは俺が・・・亡くなった母を見ていた頃から決めていた事です。例え王様の命令だとしても意見を曲げることはありません」
ぞくり、と絨毯にぶつけたままの拳から冷や汗が流れる。国王と姫に対する侮辱や反逆と捉えられれば最悪死刑、良くて国外追放だ。いくら勇者でも数十人の兵士を相手に簡単に逃げることは出来ない。僅かながらに死を覚悟した俺は、強張る喉にぐっと力を入れてさらに続けた。
「婚約の話、申し訳ありませんがお断りさせてください。お願いします」
誠心誠意頭を下げる。王の返答次第ではこのまま頭が二度と上がらなくなるかもしれない。
「・・・」
「・・・・・・・」
しばしの沈黙が流れ、王の間にいる誰もが耳を澄ませる。静かに音を聞いていると多分俺の傍にいる兵士がカチャリ、と剣を抜く準備をしているのがわかった。
しかし、俺の首をはねる者はいなかった。
「顔を上げよ、旅人デリック!さきほどにも言っただろう、貴殿のそのような堅苦しい姿を儂は見たくないと」
『旅人』という新たな肩書にハッとして国王の言葉が終わる前に思わず顔を上げてしまった。
「貴殿の気持ちはわかった。国王としても、儂個人としても、シェリノアの父親としても非常に残念だが・・・婚約の話は撤回しよう」
「・・・国王様!ありがとうございます」
こうして俺は、勇者の肩書を捨てることにした。
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