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「あぁ、それで髭の復活か。納得だ。ところで光成?」 「はい……えっ? な、何をなさるので……うわあっ!」  ——ばしゃんっ! 「おー、見事な受け身だ。さすがは光成」 「ぷはっ……建殿っ? これは何の真似ですか!」  咄嗟に受け身を取ったとはいえ、いきなり出湯(いでゆ)の中に突き落とされたのだ。空中で身体が回転するほどの勢いで。  しかも予め(ひとえ)姿になっていた相手と違い、こちらは装束ごと湯の中だ。これは、射殺す勢いで睨んでもいいはず。 「うん、悪かった。そう、きつく睨むな。美形だから、凶悪な顔でも、うっかり見惚れてしまう。目の毒だ」 「なっ、何ですか、その返しは。私は普通に怒って……」 「はいはい、後でいくらでも怒られるから、まずこっち」  抗議の声が途切れた。湯でふやけた付け髭がぺろりと剥がれたのと、相手が私の手を引いて歩き出したから。膝丈までの深さの湧泉(ゆうせん)だが、びっしょりと濡れた指貫(さしぬき)を履いたままでは歩きにくい。自然と、強く手を握り返していた。 「ほら、ここから見える風景、綺麗だろう?」 「あ、はい。まことに……紅き葉の重なりが絶景です」  ひと言目で抗議をするつもりが、素直に同意していた。  「さっき見つけたんだ。乱暴に湯に引き入れて悪かった。お前に見せたくて……その、ふたりきりで……なぜかはわからないのだが、どうしてもふたりで眺めたかったから」  こんなことを言われてしまえば、重い口も軽くなる。 「お気遣い、嬉しいです。あなたと見られて良かった」 「み、光成」 「建殿? あっ……何をなさるのですっ?」 「あー、なぜかな。今、無性にお前を抱きしめたいんだ。いいか? いいだろう?」  良いわけなかろう!
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