死んでも○○したくなかった私は超苦手なバナナを食べました

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令和9年の師走。人々の気ぜわしさが自宅や町や駅や居酒屋……そこかしこで感じられるのは今も昔も変わらない。 しかし今の私にはその季節感とは今、無縁の状態に晒されていた。ここは県警の取調室である。 「大晦日まで一週間を切ったねえ。……おー寒」ロマンスグレーの長身の男がつぶやいた。手を口にあて、子供みたいに息の白さを確かめる。 この歳で取り調べ役とは、出世を諦めた巡査刑事だろうか。  彼は令状をもって私の家に押し入り、私を逮捕してここまで連行してきた。慌てる妻の存在も眼中になかったようだ。 「いい加減にしてくださいよ、刑事さん」私は口火を切った。 「……なにがだ?」うすらとぼける刑事。 「私がやったんじゃありません。そもそも犯罪の詳細すら理解していないんですから」 「ふぁああ~、じゃあ、またイチから説明してやろうか?」 背の高い刑事がストレッチのため腕を伸ばすと傍目2メートルの巨人に見えた。天井はそれより高い。 刑事はそばの椅子にどっかりと座ると私と対面して、訥々と話し出した。 「昨日の午前9時から午後9時にかけて、県内の二十三箇所で自動車のバッテリースタンドの盗電の被害が発生した。犯人はなんらかの方法で金をいれずにバッテリー給電システムのロックを外して、異常に気付いたシステムが自動警報を鳴らして警察が駆けつけるギリギリの間まで盗電を続け、自動車で走り去ったという。車種はもちろんBEVだ」 BEVとはバッテリーで走る電気自動車のことである。令和9年では環境的配慮から水素や電気で動く自動車の量産が進み、結果BEVが圧倒的に普及しており、一般サラリーマンの安月給でも手に入れやすい価格帯になっていた。 「バッテリースタンドは今や国に必要不可欠な施設だ。サービスエリアや駐車場やホテルやレストランはもちろんのこと、導入を渋っていたガソリンスタンドや郵便局まで配備率は9割を超える」 「それは把握しております。私もマイカーをもっているので」 「日本中の原子力がフル稼働。それでも現代では電気の供給が追い付かない。パイの奪い合いなんだよ。そんな貴重な電気を盗もうとする愉快犯には、きついお灸をすえてやらねえといけねえ」 「いつの時代も暇な人間はいるものですね」 「お前だろ」腰を浮かし、机をバンと叩き私を見据えてきた。 「わ……私じゃありません!」必死になって否定した。 「お前の車種もBEVだとわかってる。だがそれだけじゃねえ。現場に残っていた指紋とも一致したし、なおかつ監視カメラにはお前の顔がばっちり映ってたんだよ。乗り込む前の歩き方を歩容認証したところ、それも一致した。どうだ。もう言い逃れできんだろう」 「今は数年前と違ってなんでも複製できる時代ですよ? 私の職場から採取した指紋をシール化して直接指に貼り付けて犯行におよぶ可能性だってあるじゃないですか。顔だって3Dプリンターでマスクも作れるし、ちょっとした特殊メイクの技術があれば私の顔を模写するのは訳ない。歩き方だって訓練次第で……」 「どうにでもなるかよ! いちいち苦しいんだよ言い訳が! 令和9年はそこまで技術革新は起きてねえ! シンギュラリティもきてねえ!」 射すくめるような目で刑事は叫んだ。 「そんなの……あなた達が気づいていないだけで……」私はうつむき加減で反駁した。 「どこかの末端では起きている、ってか? SF映画の見すぎだぜ、おっさん」 「とっ、とにかく、私にはアリバイがあります」 「そこだ」刑事はピンと指を立て、私に突き付けた。 「なんです?」 「奥さんから話は聞いている。事件発生日、旦那は三時のおやつを食べたあと、二階へ上がって部屋に閉じこもり、布団をかぶって微動だにしなかったと。体調でも悪いの? と話しかけたら、布団からサムアップする旦那の姿がみえたんで、安心して一階でテレビを見て過ごして、そのままソファで寝落ちしてしまったそうだ」 「そうそう、あの日は徹夜で寝ていなくて、三時に小腹を満たしたあとに疲れて寝てしまったんです」 「ふ……ふ・ふ・ふ」鼻に手の甲をあてた刑事が、訝しげに私を見つめてきた。恋人でもないのに、とその仕草に辟易した。 「何か問題でも?」 「大アリだよ。あんた、奥さんには内緒でこんなことやってたんだろ? あんたみたいなうだつの上がらない夫は奥さんから離婚されたら身の破滅だからな」 「いやな事言いますね」確かに容姿の面も含めて、私は自己評価が低かった。 「いや悪い、別に罵倒したい訳じゃないんだ。ただ奥さんから事前に一言一句詳しく取り調べさせてもらったよ。聞いた話では昨日、旦那さんの顔は、直接はっきりとは一度も対面してなかったそうだね。見たのは布団から伸ばした右手だけだと」 「そ……それは」冷や汗がでた。長い夫婦生活を営んでいればそういう日も一日ぐらいある。しかし目の前の刑事にそれを説明しても納得しなさそうだ。 「さらに奥さんは昨日、あなたの行動に対して違和感を持っていたそうだ。なぜ三時におやつを食べたとわかったか? それはリビングのテーブル上にバナナの皮が無造作に置かれていたからだ。最初奥さんは驚いたそうだ。なんで主人がバナナを? 主人は重度のバナナアレルギーのはずなのに……ってな」 私はぎくっとした。核心に近づかれている予感があった。 「そ、それは……」 「お前は単独犯じゃなくて、共犯者がいる。アリバイ作りのために、知人をそそのかして昨日、犯行前に自宅に招き入れたんだろう。そしておざなりで似せた外見をほどこし、知人に『極力妻とかち合わないように、布団に潜って寝たふりをしていてくれ』と指示した。だが知人はミスを犯した。ちょうど小腹が空いていたもので、たまたま手近にあったバナナに手を伸ばしてしまったんだ。お前がバナナアレルギーである事実を知らずにな。ようするに、昨日犯行時お前の家にいたのは、替え玉だ。そうだろう?」 「ちがう! 断じてちがう!」私は吠えた。 「ごまかすな」しらじらしい、という軽蔑の目で私を見てきた。私は必死に釈明を試みた。 「ゴホン、確かにバナナアレルギーの持ち主だ。私は。だが昨日はたまたま隣人がおすそ分けと言ってバナナをくれたんだ。そんな頂き物のバナナをゴミに捨てるなんてできない。だから……」 「バナナを受け取ったのは?」 「……私だ」 「ということは、隣人はあなたの顔を見ていたということになる。それならアリバイは証明可能だ。今すぐ確認とるぞ、いいか」 「それはっ、ゴホッ、やめっ」思わぬ方向から言葉のパンチが飛んできて、むせてしまった。 「嘘なんだな?」眉をへの字にして私に言い寄った。 「…………」私は答えなかった。 「頂き物のバナナを無下にはできない、というのなら奥さんが食べればいいだけの話だ。さあ納得のいく答えを出してみせろ。どうしてお前はバナナを食ったんだ?」
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