死んでも○○したくなかった私は超苦手なバナナを食べました

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「…………」私はだんまりを決め込んだ。 「おやおや、今更黙秘するのかい旦那? 悪いけど、このまま黙秘を続けるようなら自白するまで勾留措置をとらせてもらうよ」 「え……それは……ゲホッ」 「今日は月曜日、たまたま無理な徹夜がたたって体調を崩し、会社をお休みすることになった。最初はそんな理由でカドが立たないだろうが、一週間、二週間と欠勤が長引けばどうだか。上司が怪しむかもしれない。それにどうせそのうちマスコミも報道解除して、大晦日、全国のお茶の間にあなたの逮捕の一報が流れるだろう。私が愉快犯とは無関係なただの一般人なら、耐えられませんねえ。冤罪でム所にぶちこまれて、社会的にも抹殺されるんですから」 「…………んっ」私は脂汗を流しつつ、喉を鳴らした。もう駄目だ。隠し続けるのも限界だ、と悟った。 「さあ! どうなんです?」刑事が詰め寄った。 「…………だ」 「なんだって?」 「どうそうかい……だ」 「もっと大きな声で!」 「ゴホッ、ど、同窓会に、出るのが、嫌だった……からだ」私は心臓をかきむしられるような思いで歯を食いしばりながら、白状した。 「はぁあ??」刑事は首を直角に傾けた。なんなら上に鉢植えでも置けそうなくらいの綺麗な九十度だった。 「同窓会を休むため、あえて、嫌いなバナナを……食べた」 「ふざけるなっ」刑事は首を持ち上げたかと思うと再び荒々しく机を叩いた。 「ふざけてなど……いない」 「同窓会なんざ、懐かしいクラスメイトと顔を合わせて、近況を伝え合う楽しい息抜きイベントのひとつだろうが! どうして欠席したいと思うんだ」 「そう思うのは学生時代に陽キャとみなされていた奴ぐらいだ。陰キャだった私は当時、イジメの標的にされていた」 「なんだと……」今度は刑事が黙り込む番だった。相当ショックを受けているに違いない。きっと幼い頃から刑事になるのが夢で、その夢を叶えたポジティブ思考でタフネスなメンタルをもった人物なんだろう。そんな人種に私のような者の気持ちが理解できるはずがない。 私は学生時代は無口で無愛想であるがいつもテストでは満点を取る勉強オタクといえるブサメンであり、周囲からは「いけ好かないやつ」と全身で嫉妬の念を受けていた。小中高、いつの時期にも、誰かのいたずらにより私の弁当には昆虫が混入していた。先生からは「手のかからない、できる子」と認められていたが、いつも先生の庇護のない場所で私へのイジメは繰り返されていた。陰口、不幸の手紙にはじまり、頭の上からの雑巾絞り、三角飛びごっこの壁役、そしてじゃれ合いという名の暴力や集団リンチも一度や二度ではなかった。裂傷や青あざができる度、学校を休んで外見上の快復を待ち、傷跡はなるべく長袖や長ズボンでかくして登校した。そんな悲惨続きの学校生活も終わりを告げる高校三年の卒業式の日。ホームルームが終わって先生が立ち去ったあと、陽キャのリーダー格の男子が壇上に立った。ちなみに私は一目散に教室を出ようとしたが、意地の悪い同級生にドアを抑えられ、外に出れなかった。リーダー格の男子は言った。 「なあ、俺たちズっ友だよな。こんなに仲間全員と相性のいいクラスは今までなかったぜ。だから、俺が幹事役になるから、人生八十年のちょうど半分、四十歳になったら同窓会しよーぜ! 卒業アルバムに書いた約束は忘れても、この約束だけは絶対に破っちゃダメだかんな! なあみんな!」 「うん、いいね!」「グッドアイデア!」「いやーんオバサンになってるわ私」「ハゲてんじゃねーぞリーダー!」みんなが賛同の意志を示すなか、後ろのクラスメイト女子が私の椅子を蹴りながら尋ねた「もちろんあんたも来るよね?」私はビビりながら、小さくうなずくしかなかった。リーダー格の男子は目ざとく私を指さして叫んだ「おいテメー、あの手この手でサボろーなんて考えんじゃねーぞ! こっちもあの手この手でなんとしてもお前にも参加してもらうからな。ギャーハハハ」 この日から、会社に就職しても奥さんと出会い職場結婚しても、共働きや旅行で毎日を過ごしていても、つねに私の頭の片隅には『四十歳の同窓会をいかに回避するか』という解くべき命題が道路脇の乾燥したガムのように固くこびりついていた。そして昨日が同窓会当日だったのだ。 以上の内容をかいつまんで刑事に説明すると、手のひらで自分の頭をトントン叩いていた彼は、やがて口にした。 「同窓会休みたいだけなら、なにか急用ができたとか、具合が悪くなったとか、その場しのぎの嘘で充分じゃねえか」 「そんなこと、私をイジめた奴らがすぐに嘘だと見抜くに決まっている。それに、私は家内の前でカッコ悪いところは見せられなかったんだ」 私のようなブサメンにとって家内と出会い、初デート、初キス、そして結婚にまで進展できたことは唯一の自尊心を満たせる事実であった。家内の存在そのものが宝であるといえた。家内は化粧がド下手という特徴があるが、それが却って人を外見ではなく内面で判断する精神性が身についたのかもしれない。私は家内と結婚して以来、どんな些末な事も正直に報告してきたが、一生隠し通さねばならぬ秘密もあった。それは学生時代、秀才と呼ばれ皆から羨望のまなざしを受けて育った、クラスメイト全員に好かれ、ラブレターもひっきりなしだった。という過去に関する嘘の逸話である。家内は同じ職場で同僚として働いていた当時、Y君という同じくブサメンの彼にも好意を寄せており、どっちと付き合うか迷っていた時期があった。そこで私は以上のような逸話をそれとなく彼女に話して、まるで私を「いまのうち捕まえとかなきゃ損だよ。お買い得な物件だよ。買うなら今だよ」と優良物件のごとくアピールしたことで、妻はそれが決め手になってY君を諦めた、と結婚後に述懐していた。 私の胸はチクリと痛んだ。こうなっては仕方がない。私は学生時代のころ陽キャなヒーローであったと嘘をつき通すしかないと思った。 結婚して両親に「誰も私の所在や電話番号やラインは教えるな」と釘を刺し、私は引っ越し先で新婚生活を送った。当時の同窓生たちとの連絡手段を断ったつもりだった。 しかし運命はなぜにこうも悪戯好きなのか。ちょうど昨年、取引先で中途入社したという社員と名刺交換をした。そいつはなんと例のリーダー格の男子だった。 「よう! ひさしぶりだなぁー!」相手はムキムキの筋肉体質で課長。対する私は相変わらず係長である。その身分の格差もあったが、学生時代から変わらない社交的な性格と狡猾に相手を出し抜くスキルは健在であった。 ラウンジで紅茶を置いて二人きりになったとき、彼は頭を片手でがりがりと掻き出した。その後、指についた付着物をこすりあわせ、私の紅茶の中にパラパラと落とした。フケ入り紅茶の完成だ。 「課長に昇進したはいいけど、使えない部下が多くてよ。そのくせ労基とか法律知識には詳しいでやんの。もうストレス溜まりまくりでよぉ」 「そ、そうですか」クジラに飲まれた人間のように身をすぼめた私はおざなりな返事をした。 「飲めよ」 「はい」 私は紅茶をがっと掴むと一気に飲み干した。懐かしい味だ、高校生に戻ったような気分だった。 「そういえば来年はお互い四十だな。覚えてるか? 同窓会の話。いやー我ながらメンドイ仕事引き受けちゃったなぁーって」 「じゃ、じゃあ中止に」 「馬鹿野郎。引き受けたからには最後まで責任もってやり遂げるぜ。なんせ俺らズっ友だろう?」そう言ってスマホのカレンダー機能を開く。 「…ですね」家内と出会ってから最低限の会話や愛想笑いは身についたが、それを彼の前で披露することになるとは。小さな屈辱を感じていた。それほど大きく感じなかったのは、やはり学生時代に刻み込まれた上下関係が残っていたからだろう。プライドなんぞ微塵もなかった。 「じゃ、来年、年末最後の日曜日、12月26日に同窓会やるから。予定空けとけよ。家にも電話いれとくし、なんなら手紙も出してやるからな、ひっひっひ」 私は蒼白になりながらうなずくしかなかった。蛇に睨まれたカエル、いや槍を持ったジェイソンに睨まれた穴倉から動けない女性のような気持ちだった。 そしてその一年後、不意打ちの電話攻勢と五日連続にわたる招待状到着により、同窓会が行われる事実は家内の耳にもはいった。私は早くみんなの顔が見たい。行きたくて行きたくてたまらないといった様子を懸命に演じた。 「いいなぁ、羨ましいなぁ。あたしも幹事になって同窓会企画しようかな」奥さんの羨む声が耳に届くほどだった。 ついに十二月、不測の事態でままならなくなった私は、意図的に健康を害して入院しようと画策する。 家内は私にかまわず普段からバナナを買って、食べる。好物なのに、あまり美味しそうに食べないのは私に気を遣っているのだろう。そんな普段からバナナのストックがある我が家で、26日15時頃、私は初めて家内のバナナからひと房、拝借し、1本ちぎった。皮を剥いて、震えながら口にする。 「それで? アナフィラキシーでも起きたか?」刑事が訊ねる。 「いや、平気だったんだ……長い間アレルゲンを口にしなかったことで、自然治癒したのかもしれない。だが何時まで経っても症状が出てこない私は焦って二階に駆けあがり、布団に潜りこんだ。発症しなかったらどうしよう。どう言い逃れよう……そのことで頭がいっぱいだった。そのせいでバナナの皮を処分することも忘れていた、ゲホッ、ゴホッ」 刑事は椅子の背もたれにもたれて、天を仰いだ。ふーっと、息を吐く。 「お前、そんなんで言い逃れできるとでも思ってんのか? 替え玉の可能性はこれじゃ消えねえな」 「違うって言ってるだ……ゲホッ、ゴホッ、ゴホゴホ……!」 「おい、汚ねえな、唾飛んでくるじゃねえか……って、お前、その顔……!」 「へ?」私は自分の顔は視認できなかったが、両腕に視線を落とすと、ポツポツと赤い発疹が、まるで降り始めの雨だれのようにわいて出てきた。咳も止まらなくなっている。なんだか息苦しい。 私はやがて目の前が暗くなり、その場でぐんにゃりと上半身を机に預け、動けなくなった。 「やばい! ショックを起こしてる! 病院だ!」刑事の叫び声が遠く耳に響いた。
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