死んでも○○したくなかった私は超苦手なバナナを食べました

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どれだけの時間が経っただろう。再び意識が戻ったときは、とある病院のベッドの上だった。 着衣拘束はされていなかった。逃走する可能性は少ないと判断されたのだろう。そもそも私は犯人ではない。 喉の枯れた声をだすと、看護師がやってきてコップで水を飲ませてくれた。 「まもなく先生がやってきて説明があります。どうぞ楽にしてください」 三十分後に、主治医と思しき男がやってきて言った。 「遅延性食物アレルギー症候群ですね。アレルゲンを口にしたからといって、すぐに症状がでるとは限りません。摂取して数日後にめまいや呼吸困難や下痢などを発症するケースもあります。おたくのように蕁麻疹がワンテンポ遅れてわらわら出てくるのは珍しい症例だけどね」 黒く分厚い顎ひげをたくわえた医師は懇切丁寧に説明してくれた。 「……てことで、ステロイドを投与したので、とりあえずは大丈夫です。今後は間違ってもアレルゲンを口にしてはいけませんよ。三日後には退院できます。説明は以上です。部屋の外で奥さんが待機してますが、会われますか?」 「はい、お願いします」 医師と看護師が退出して、いれかわりに家内が入ってきた。 家内は私をしっかと抱きしめたあと、言った。 「あなた、警察の嫌疑は無事に晴れたわよ。26日の午後から向かいのご家族の娘さんの六歳の誕生日祝いがあったらしくて、ベランピングでパーティしていたの。そのときの動画のすみっこに、バナナを食べようとするあなたの様子が映ってた、そうよ……」 「そうなんだ、良かった……」妻は安堵する私を横目でじっと見届けたあと、続きを口にした。 「ただあなたそっくりの姿と指紋が出てきたのは事実だから、出生登録のない双子がいないか後日改めて話を聞かせてほしいって」 「馬鹿馬鹿しい。そんなもんいるわきゃないのに」 「はぁ? 馬鹿はあなたでしょう? 同窓会に行きたくないだけのためにバナナを食べるなんて……命知らずもいいとこだわ」 「すまない。幻滅したろう」 「幻滅じゃなくて、怒りが湧いたわ。今更イジメられっ子だった過去をバラしたところで、あたしが離婚を考えるような女に見られていた、という事実によ」 黙る私。言葉もない。結局は自分の伴侶を信じ切れなかった己に責任があったのだ。 「見栄を張ってすまなかった。だが俺の秘密はこれで全部だ」 「でました、はい嘘~」両手の人差し指をこれみよがしに向ける。コギャルか、と突っ込みたくなったが。 「??」 「警察から聞いたのよ。あなたウチの職場に来る前の一時期、某工学博士の助手として半年間ほど働いていたらしいわね」 「そ、それは……」 事実だった。だがそれは家内には打ち明ける必要のない些細な情報として言う機会がなかっただけに過ぎない。 「胸糞悪くなるような話も、メシがまずくなるような話だって、上等よ。あたしはあなたの全てが知りたいの」 「おまえ……」 「せっかく結婚したんだもん。酸いも甘いも噛み分ける相棒になりましょ?」下手なアイメイクを施した瞳でウインクされた。 長い沈黙のあと。私は口を開いた。 「わかった。お前には俺の秘密全部を打ち明けるよ」 「本当に?」 「ああ、そこからまたやり直そう」 「約束よ」 そう言ってキスをした後、彼女はいろいろと世話を焼いてくれた。 後日、財布やスマホなど私物をもってきてもらい、私は薬と検査の時間以外はスマホ読書をしながら時間をつぶした。 (俺の秘密……全部打ち明けるのは年が明けてからだな)とぼんやり思った。 そして退院前日の夜。 奥さんは2時間前に帰った。年末特番を家でゆっくり見たいから、という理由だった。 私は病室で寝転び、ステロイドの点滴を打ちながらとりとめのないことを考えていた。 (俺だったら、どうするかな……) 意識が戻った日の夜からずっと繰り返していた思索をつづけた。 (やはり用をなさなくなったからには、自由に生きたいと思うだろうな……) 思索の対象は、大事な家内のことではなかった。 (でも、やはり一人では生きるのは難しいと感じだすはず……性能面の問題ではなく、感情面の問題で、だ) 私は思索対象がたどる道のりに思いを馳せた。 (被害現場が東京からこちらで再発生している。と報道されていたな。Uターンしたのか) 思索対象とは、私の影である。その影がベッドの周囲をおおうカーテンの一隅に、ふわっと顕れた。 「来たか」 私がそう告げると、サッとカーテンが開かれた。 そこにいたのは、よれよれのスーツ姿に身を包む、であった。
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