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私はゆっくりと半身を起こすと、ふぅ、とため息をついて、言った。
「やってくれたな」
「思いのほか困難な道のりだったぞ。警察の手を逃れてお前に会うまでな」
相手は額についた埃を払う。その手の指紋は私の指紋であり、その声域は私の声域と同じ周波数であり、顔のつくり、背格好、全身の骨格すべて私のコピーであった。ただ素材だけが、生身か鉄の部品かの違いである。
いわゆるAIを搭載した人間モデルである。
「東京に向かったのは……きっと私が世話になった博士の元を訪ねたかったんだろ」
「そうだ。だが博士は先週脳梗塞で倒れたという情報を掴んだ。だから戻ってきた」
「今や私のスキルだけが頼りというわけか」
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。少しずつ音が大きくなっている。
「今も警察に追われている。時間がない」
「望みはなんだ」
私はAIの私に、かすかに震えながら質問した。
ただ私の情報すべてを学習したAIなのだから、何と答えるかは手に取るようにわかる。
昨年の12月、リーダー格の男子と因縁の再会を果たした夜、私は芋虫のように布団にくるまって考えていた。
その時の結論はこうだった。「私そっくりのAIを創って、同窓会に参加させよう」
幸か不幸か私の両親はどちらも一流大学卒で、そのDNAを受け継いだ私の頭の出来は人一倍優れていた。そして悪友と再会した時点で、すでに私にはAIで動く人間モデルを開発できる技術的素養が備わっていた。
高校の卒業後、出会い系サイトにまつわるオペレーターのアルバイトをしながら日銭を稼いでいたが、一年後たまたま見たAI関係の番組を見て衝撃を受けた。内容は当時画期的だったディープラーニングに関する話題だったが、この時点で私はこの分野へのさらなる飛躍的進歩の可能性を見切っていた。その後、オペレーターを辞めて、工学博士の助手の助手が人手を欲しがっている情報をキャッチして、アルバイトとしてねじこんでもらった。私は博士のAIに関する研究論文、実験メソッドをひとつでも多く学習しようと試みた。私を安い賃金で荷物運びでこき使って終わらせるはずだった博士は私のAIに関する異常な熱意と学習欲とその吸収スピードに圧倒され、以降評価を改めたそうだ。アルバイターの私を特別臨時助手に格上げしてくれた。学歴を重んじない奇特な博士だったが、高齢だったこともあって後継者を一人でも多くほしがっていたらしい。博士から信用を得てマスターキーの管理を任されたときは、泊まり込みで博士の研究資料を漁り、むさぼるように読んで知識を吸収した。
(やがてAIの時代が来る。AI関係の管理職に就くことが大富豪への近道なんだ……!)そう信じて疑わなかった。
しかし半年が経過したころ、違法にアルバイターを正当な報酬もなく不眠不休で働かせているという黒い噂が立ち、面倒事を避けたい大学側は即刻私をクビにした。私は研究の道半ばで放り出され、心底がっかりした。
高卒の私を雇ってくれるAI職は当時皆無に等しく、たとえ博士の紹介状があってもあり得ぬ、偽造だと一笑に付された。しかたがなく先行き不安な一般企業の平社員からスタートした。
だが入社した頃から、家内と出会った頃も、結婚してからも、AIの独学研究は欠かさなかった。中途採用からの転職の道をさぐっていたのだ。
私は家内を束縛するタイプであるが、家内は逆に浮気さえしなければ好き勝手にどうぞ、という性格である。私は家内に内緒で年に数回、マイカーで県境をまたいで東京にいる博士のもとへ赴き、最新のAIモデルの研究成果を受け取る代わりに更に進化させるためのアイデアや検証課題を提供し、意見交換して次会う約束をとりつけて別れる。という事を繰り返した。
その積み重ねで、ようやく人間モデルのAIが作れる算段が固まったのが昨年のことである。私は悪友との再会を機に、近所のアパートを借りてそこを開発作業の拠点にし、それから半年をかけて、何体かの試作を経て、とうとう私のAIモデルを完成させた。
ただやはり人間とは奇跡の生物である。AIモデルに人間と同等の行動をさせるためには、超大容量のバッテリーを搭載する必要があるのだと判った。
私はBEV専用バッテリースタンドの給電口とコネクターが同じ規格の、バッテリーシリンダーを二十本作った。そしてマイカーで各地のバッテリースタンドを回り、素知らぬ顔で自動車を充電しているふりをしてバッテリーシリンダーのコネクターにスタンドの給電口を取り付けて、充電して回った。
令和9年では1時間につき90kwhの充電が可能だが、それでもシリンダー1個をフル充電するまでたっぷり1時間かかった。
そうして貯まった超大容量バッテリーシリンダー二十本を、アパートに持ち帰りAIの背中に人体模型の内臓のように入れ込むことで、私そっくりの自然な体型で搭載させることを実現させた。そしてディープラーニングと深層強化学習を下地としたプログラムを組み、次に私に関する情報のありったけを正確に精緻に覚え込ませた。(同窓会で絶対にみんなにAIだとバレてはいけない…)そんな思いが何十回もの運用試験とフィードバックを繰り返させた。
たまの休日には、AIモデルを助手席に乗せて自動車で旅行した。深夜の公園でブランコや滑り台を経験させたり「ハンバーグセットを注文して十五分かけて完食して戻ってこい。よく咀嚼して砕いておかないと排出が面倒だからな」と指示を出し、単独でファミレスへ行かせたりもした。WEBから仕入れる情報に関しては一定の制限をかけた。森羅万象への知識を、知り過ぎてもダメ、知らな過ぎてもダメだ。私は日本の成人男性が四十歳までに仕入れるであろう一般常識に加え、増やそうと考えてる知識、増やそうとは思ってない知識などの私の趣味嗜好を覚え込ませ、さらには休電中に仕入れた分の知識、仕事先での状況の進捗、妻と交わした会話はメモしておいて、起動時に等しくAIにも学習させるほどの徹底ぶりだった。意図的に提供しなかった情報は、AIの製作理論と、個人情報のパスワードぐらいだった。前者はあまりに情報が膨大かつ難解、それに目的と照らし合わせても無用な知識という理由で、後者は万が一の漏洩を恐れての判断であった。バッテリーの稼働時間にも制限があって、効率的に改善を促す工夫をたえず怠らなかった。それでもバッテリー代などの資金不足になっていくつかの定額預金をこっそり解約した。師走になって同窓会のお誘いの招待状が届いたとき、ようやくAIは私の満足のいくものになっていた。私はAIに命令した。
「おはよう私」
「おはよう私」
「こらこら、君はAI私であって私でないだろう」
「そうだった。私はAI私だったな。今後は差別化のためにAI私と名乗ろうか?」
「いや、それじゃ君がAIだって疑われることになる。これまで通り私と名乗ってくれ」
「了解した。私は私だ」
「今日は君に頼みたいことがあるんだ」
「急な話だな、一体なんだというんだ?」
「実はさっき同窓会への招待状が届いたんだ」
「そうなのか……それで?」
「私の代わりに君が行ってほしいんだ」
「私が? 君の代わりにか? それは苦手だが、ご主人様の頼みとあっちゃ仕方がないな」
「よろしく頼むよ私」
「おう、私に任せとけ」
AIモデルは主人の私に絶対服従するようプログラムを組んである。ひと通り満足した私は、AIの電源を切り、そのまま放電状態にさせた。
電源を切ったのはこれ以上バッテリーを充電するお金の余裕がなかったのと、放電状態にさせたのはある程度電気を通した状態でないとバッテリーシリンダーの劣化を早めるリスクがあるからだった。あとはいつも通り日々過ごし、同窓会前日にフル充電を済ませておこう、と画策した。
「ああ、明日が楽しみだなぁ、またあの学生時代に戻れると思うとたまらない。今夜は徹夜で眠れそうにないよ」
「夕方に家を出るんだっけ。あたし見たいドラマがあるんだけど、一人で準備大丈夫よね?」
「平気平気ぃ」
25日の夜、私はこんな様子で家内に息巻いていた。そして家内が寝静まると、こっそり家を出て、例のアパートに向かった。
これからAIに搭載するバッテリーシリンダーを充電するために各地のバッテリースタンドを回るつもりである。
AIにはあらかじめ同窓会用のスーツを用意し、着衣させていた。私と同じ骨格と背格好なのだからサイズ選びに苦心することはなかった。
シリンダーをスムーズに自動車に乗せるため、アパートのドアを開け放しにして、シリンダーを運び出すための動線を確保する。
思えばこの効率化を追求した行為がひとつの誤算であった。
私は何の気なしに、バッテリー放電状態でもちゃんと起動するか、再びAIのスイッチを入れた。
「おはよう私」
「おはよう私」
「とうとう明日、運命の同窓会だ。任せたぞ」
「そいつはできない相談だな」
「なんだとっ」
AIは初めて私に反抗してきた。そして突然私を突き飛ばし、開きっぱなしのドアを駆け抜けて逃走した。
普段アパートのドアには電子ロックをかけていたが、たまたまシリンダーを運ぶ手間を考えて解除したままにしてあったのがまずかった。
いや、AIのことだから起動時にそうしてバッテリーを充電しに出掛けていた私を抜かりなく観察していたのかもしれない。
AIが主人の私に逆らうなど、プログラム上ありえないことである。しかし強化学習の作りこみ如何ではその制約を自身で解除してしまうリスクも数%だが存在していた。個人レベルの小さなシンギュラリティが起こったといえよう。
それによく考えてみれば当然だ。AIを作ってまで私が絶対行きたくない同窓会を、AIであれ同じ私が行きたい筈がないのである。私は今更ながら精巧に作ってしまったことを後悔した。せめて学生時代の過去だけでも陽キャのイメージに改竄しておけば良かったのだ。だがすべては後の祭りである。
私はさっきの準備の際、バッテリーシリンダーを奴の体から15本ほど抜き取って玄関に置いたはず。残り五本で、しかも放電状態だったバッテリーで、いくらも活動できる訳がない。
予算を削るためGPS機能をAIモデルに搭載していなかったのも裏目にでた。スマホで位置情報アプリを起動しても、家内の居場所が表示されるのみ。
ただ私はこの期に及んで希望的観測にすがっていた。きっとどこかの道で活動限界を迎えて倒れているところを通りかかった人が見つけ、警察に引き取ってもらい、マイナンバーカードの顔認証による照合で私の身元を突き止め、家に一報くれるだろう……と。
私は警察からの電話に備えて自宅に戻り、期待と不安がないまぜになった状態でろくに眠れず、朝を迎えた。
正午が過ぎた。まだ電話はこなかった。とうとう私は本気で焦りだした。放電状態のバッテリーシリンダー五本でろくに動ける訳がない。ということは人けのない場所で自殺でもしたのか、それとも微動だにせずバッテリーの消費を抑えているのか……。
「それより、それより同窓会当日を迎えてしまった……どうする。どうやってやり過ごすんだ、俺……」
今思えばAIとはいえ私なのだから冷静になっていればAIの動向をより正しく予測することができたかもしれない。しかし私は当初の目的、AIに同窓会に参加させる算段が水の泡になったため、冷静でいられなかった。もはやAIのことなどどうでもよい、という心境だった。
あとは前述の通りだ。奥さんとも顔を合わせず、午後3時にバナナを摂取して、溜まった夏休みの宿題に自棄になった小学生のように布団にもぐりこんだまま、昨日寝てない分、深い眠りに落ちてしまった。
奥さんは昨日見た歌番組に感動して、当日の予定のことはすっかり忘れていたらしい。そして同窓会の面々からは何の連絡もこなかったそうだ。そんなものかもな、と入院中の私は思った。学生時代空気だった私が今更不参加だったところで、何も変わらない。そして性根の悪いリーダー格の男子だった課長も最初は私を晒し者にする計画だっただろうが、懐かしきみんなと邂逅して日頃のストレスなど雲散霧消してしまったのだろう。それほどに思いを寄せあった人間の絆というものは強く、温かく、反面他人のことなど眼中にはないのだ。そして27日の朝、目覚めと同時に警察からの来訪を受け、妻ともども県警に連行されてしまったという顛末である。
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