あの日の吸血鬼

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 二人きりの同窓会から一週間。動画作成の話は霧散した。結婚予定だった友人が婚約を解消することになったのだ。何があったのかは分からない。友人間では互いに不倫をしていたらしい、という根拠のない噂が流れていた。  木曜日。翔太郎は仕事を終え会社を出ると、最寄りの区役所へと向かった。週に一度、窓口が十九時まで開放されている。  区役所に来ることなんて滅多にない。自動扉をくぐり周囲を見回していると、案内係の職員に声をかけられた。 「どのようなご用件でしょうか?」  いかにも親切そうな中年の女だった。人の良さそうな笑みに学生時代の「お母さん」に通ずるものを感じて、翔太郎は目を逸らした。 「あの、離婚届をいただきたいのですが」  職員は笑みを瞬時に消すと、真面目な顔で記入台へと向かい、台に備え付けられた棚からA3サイズの薄い紙を取り出した。 「どうぞ」 「ありがとうございます……本当に、緑なんですね」  受け取った翔太郎が素直に感想を口にすると、職員の女は困った顔をして、軽く頭を下げた。  翔太郎は離婚届を丁寧に折りたたんで鞄にしまうと、新妻の待つ我が家へと向かうため、区役所を後にした。スマートフォンには、今夜の夕食はハンバーグ、とのメッセージが来ていた。  けれども。  今、翔太郎の頭に浮かぶのは、いつの日かの「約束」の言葉だけ。首元には甘い痛みが疼き、落ち着いてはいられない。  彼は「約束」を果たすべく、家路へと急ぐのだった。
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