ふたたび酒場にて

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ふたたび酒場にて

「ただいま……」  遠慮がちに扉を開ける。絶句するマスター。濡れネズミを見つけたようなその目は、次第に山羊のように優しくなった。 「ブランデー、お湯割りでどう?」  マスターがイタズラっぽく笑う。  店のスピーカーから熱いジャズが流れていた。熱いけれどもそのプレイは、あくまでもクールだ。ピアノ・ソロが鍵盤の上を転がり続けていた。  カウンターの端に坐ると、そこにポツンとボトルが置かれている。空き瓶か?よく見たら、まだ結構残っていた。 「これ、どうしたの?」 「あぁ、それね。棚の奥から出てきたんだ。誰が入れたボトルか分からなくてさ。皆で飲んでしまおうと思って」  ウィスキーボトルのラベルを確認した。かなり昔に飲んだことのあるスコッチ・ウィスキーだった。 「ストレートでやってみるかい。温まるよ」  注がれたショット・グラスが、チェィサーとともに目の前に置かれた。それを一気に(あお)る。熱いものが喉元に落ちてきた。  旨い…… なぜか「青春時代」と表現したくなる味がした。  そういえば二十歳(はたち)前後の頃、初めて飲んだウイスキーが、このスコッチ・ウィスキーだった。それは、すべてが満ち足りていなかった時代のこと。そんな時代だったからこそ、ウイスキーが飲めるなんてことに幸せを感じていた。 「物」と「幸せ」が、ストレートに繋がっていた。そんないい時代だった気がする。 「まぁユックリやるさ……」   マスターが呟いた。そしてウィスキーの入ったグラスを目線の高さに持ち上げ、言葉を続ける。 「ほら、コイツが熟成するのと一緒」  ニヤリとした視線を、送ってよこした。  いまさっき飲んだ、たった一杯の酒。そいつは一瞬にして、俺の青春時代を思いださせてくれた……  そうか……俺の書いた小説なんかでも、その味わい次第で初心に戻れるってことか。  いまの俺、ヤサぐれた日常…… 酒が飲めるだけで充分だなんて、変にいじけていた。  あらためて初心に戻ってみるかな…… 誰だって(つまづ)くけど、でもそのたびに投げ出していたら一生かかっても人は何もできやしない。  もう一度、やりなおしてみよう……  そう思いながら、目の前のボトルを見つめた。濃い琥珀色のガラス瓶。そこには、覗き込んでいる俺が、ボンヤリ映っていた。  それは幸せそうな顔だった。 ー終ー
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