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「あーあ、もう終わっちゃった」
“愚者”はテーマパークのパレードが期待ほどでもなかった、くらいのささやかな落胆を大仰に吐き出した。ある程度意識を持ち直した蜂姫は状況を理解して憤死しかねないほどに彼を睨み付けているが、だからといってなにが出来るわけでもない。
“正義”は窓から階下を覗き込むと「うへえ」とうんざりしたようにひと言だけ呟いて“愚者”の向かいに腰を下ろす。
「そンで? 手下は皆殺し。拷問もしない。満足したならもう帰ろうぜ、なあ」
蜂姫の組織はもう手の施しようがないほどに壊滅した。まともな裏社会の組織なら理由はどうあれここまでの失態を目こぼしはしないだろう。
あとは放り出して帰ってしまえば拘束されたままの彼女は十四区の住人にめちゃくちゃにされるか自分の組織に消されるか、どちらにせよ後片付けは必要ないと“正義”は考えていた。上部組織からの報復はあるかもしれないがそのときはそのとき。対策を考えるのは“愚者”の仕事で自分じゃあない。
しかし当の“愚者”はニヤニヤしながら手元のスマホを弄んでいた。彼が普段目に見えるところで使っている白黒のチェックではなく黒地に桃色で七本脚の蜘蛛が刺繍されたカバーがついている。
それについて問いただすよりも早く、蜂姫が声を上げた。
「いツの間に、この盗人! 返しなさイ!」
「まあまあ、もう少しだと思うからさー」
“愚者”の言葉は帰りたいと言った“正義”に向けたのか返せと言った蜂姫に向けたのか判然としなかったが、その刹那、着信音が鳴り響く。
「ほら来た」
勝手に受信して耳に当てると、間髪入れずにやや高い芝居がかった声が届いた。
『晩上好! 君が“愚者”かい!』
「はろはろ初めましてミスタブラックドッグ! ボクが非合法営利組織ArcanaWorksのリーダー“愚者”だよ!」
『くはは、元気が良くて結構だ。しかしその端末は部下に持たせたものでね。彼女はどうしてるかな』
「ああ、彼女は今ちょっとお腹の調子が悪いみたいで。食中りかな? 怖いねー」
“愚者”の言葉を聞いた蜂姫がなにか言おうと口を開くが、間髪入れずに“正義”のブーツの爪先が捻じ込まれ言葉にならない怒りの滲む呻きを上げることしか出来ない。
相手方にもそれは聞こえていただろう。しかし動揺の様子はない。
『なるほど、彼女は俺に似て少々食い意地の張ったところがあるからな。やれやれ、困ったものだ』
まったく状況を理解していないような素振りの声色。けれども“愚者”は知っている。この部屋は通話相手、ブラックドッグに監視されている。そうでなければ一言目から“愚者”の名を呼ぶはずがない。
つまり、彼はこの状況を知りながらこうなるまで放っておいて、挙句シラを切ったまま“愚者”に話を合わせているのだ。
『それで、可愛い部下の面倒を見てくれたのだろう親切な君にはなにか礼をしないといけないな』
「え、そうだなー。うーん、じゃあ彼女にウチの相談役をお願いしてもいいかな」
その言葉に蜂姫と“正義”が同時に「はあ!?」と言わんばかりの表情を浮かべる。
それはそうだろう。一方的に乗り込んできて蜂姫の部下を皆殺しにしておきながら、いったいなにを相談するつもりなのか。
しかしブラックドッグはその言葉を一蹴せず少しの間思案する。
『君が彼女の、蜂姫の身の安全と寝食に責任を持つと言うのであればまあ、その願いを聞くのも吝かではないな』
多少含みのある条件付きとはいえ、その返事に“愚者”は、にこーっと笑みを浮かべた。
「じゃあ決まりだ」
『ただし彼女は大変に食通だ。つまらないものを食べさせられたなんて愚痴が俺の耳に届かないようにしてくれよ?』
「もちろん! なんたって大幹部サマの腹心のひとりに勉強させて貰うんだからさ」
『ああ、わかっているなら構わない。君の可愛い粗相だって大目に見ようじゃあないか。俺は寛大な男だからね』
その態度がなんだか見透かされているようで、“愚者”は電話越しに張り付いたような笑みを浮かべて、しかし絞り出すようにひと言だけ返した。
「そりゃどうも」
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