僕と彼女の古民家シェアハウス

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 天井から落ちてきた水滴が、布団で寝ていた僕の鼻の頭を叩いた。 「うげ、雨漏りだよ……」  ポタポタと何度も何度も顔に降ってくる水滴にげんなりする。  僕――八重崎昇哉(やえざきしょうや)が大学進学を機に地元を離れ、右も左もわからないこの街に引っ越してきたのは今日の昼のことだった。事前に不動産屋で見つけていた安い古民家に憧れ半分で入居したのだが、早まった決断だったと後悔する。  築百年を超える昔ながらの日本屋敷で趣はあるものの、流石に古すぎた。雨漏りは一点だけじゃなく部屋のあちこちで発生している。ちゃんと管理してろよ不動産屋! 「とにかく、一旦避難しないと」  停電しているのか、電気がつかない。スマホの明かりを頼りに布団を片づけ、雨漏りする場所にタオルを敷くと、部屋を出て居間へと向かった。  ギシギシと軋む廊下。外からはザザーザザーと激しい雨音が聞こえる。  昼間はあんなに晴れていたのに、今は滝のような土砂降りだった。雷まで鳴っているよ。停電しているわけだ。 「初日でこれかぁ……とも再会しちゃうし、なんだかもう踏んだり蹴ったりだ」  この古民家はただの賃貸物件じゃない。  いわゆる『シェアハウス』というやつだった。僕の他にもう一人だけ、この古民家に入居した人がいる。 「あっ」 「あっ」  居間に辿り着くと、反対側の襖も同時に開かれた。掛布団に包まった人物と目が合い、お互いに素っ頓狂な声を上げてしまった。  あどけなさが残る整った顔立ちに、下ろした長い黒髪をした女の子だった。ウサギ柄の可愛らしいパジャマを隠すように、彼女はぎゅっと掛布団を体に巻き直す。 「もしかしてそっちも雨漏りで避難してきたのか、露香」 「そういう昇哉こそ」  僕たちは牽制し合うように襖を開けた姿勢のまま相手を睨みつけた。彼女は栂野露香(つがのつゆか)。僕の幼馴染だ。  と言っても、仲が良かったのは中学生の時まで。僕らはある日、些細な事で喧嘩をしてそのまま疎遠になってしまっていた。高校も別で、今日の昼間に古民家の前で約三年振りに顔を合わせたわけだ。 「とりあえず、中に入らないか? 幸い、居間は雨漏りしてないようだし」 「……そうね」  僕はちゃぶ台の前に腰を下ろしたが、露香は部屋の隅っこで布団を頭から被ったまま体育座りをする。こっちには見向きもせずにスマホを弄り始めた。嫌われてるなぁ。  無言のまま時が流れる。  雨は一向に収まる気配がしない。 「驚いたよ。まさか露香が僕と同じ大学に入ったなんて」  退屈と気まずい空気に堪えられなくなった僕は、あくまで独り言のつもりでそう口にした。昼間会った時に聞いた話だ。逆にそれ以外はなんの会話も発生せず、僕たちは各々の部屋に閉じこもっていた。 「偶然って怖いわね。安心して。他に住むとこが見つかったら私が出ていくから」  スマホの画面から目を逸らすこともなく、露香は冷淡な声でそう言った。スマホの明かりで照らされる彼女の顔は無表情。なにを考えているのかさっぱりわからない。 「ていうか、なんで露香はここに入居を決めたんだ? 古いし、セキュリティもないようなもんだし、シェアハウスだし」 「安かったからよ。あと、こういう古き良き日本屋敷に一度住んでみたかったの」 「理由まで全く同じかぁ。流石は幼馴染」 「やめてよ、幼馴染とか。せめて『腐れ縁』って言ってくれない?」  ようやく露香はスマホから目を放し、キッと僕を睨んできた。 「私はまだ、あんたがしたことを忘れてないんだから! 私の知らないところで他の女の子とイチャイチャしてたこと!」 「アレは誤解だって言っただろう?」 「ふん、どうだか。鼻の下伸び伸びだったわよ」  これが喧嘩の原因――の半分だ。中三の冬。僕はただ他の女の子と趣味が合って意気投合しただけで、友達以上の関係にはなっていない。なのに勝手な焼きもちで詰め寄られ、罵倒され、口論になった。 「そっちこそ、あの後輩くんとはまだ連絡取ってるんじゃないの?」 「そんなわけないでしょ! それこそ誤解なんだから! アレはちょっとした相談に乗ってあげてただけって説明したじゃない!」  もう半分はそれだ。喧嘩をした数日後、彼女が所属していた陸上部の後輩(もちろん男)と二人切りでファーストフード店に入っていくのを僕は目撃した。会話の内容は聞こえなかったが、楽しそうに喋っていた彼女の顔は今でも脳裏に焼きついている。  やめればよかったのに、イラついていた当時の僕は同じように彼女に詰め寄った。二度目の大喧嘩だ。以降、お互いに口を利かなくなったまま卒業してしまった。 「まったく可愛げがない。昔はオバケや雷が怖くて僕に引っ付いてきたくせに」 「なにその懐古厨の老害発言。あんたも嫌味ったらしくなったわね。優しかったあの頃とは大違い」 「なんだよ?」 「なによ?」  睨み合う。バチバチと火花が中心で弾ける様を幻視する。  十秒ほどそうした辺りで、互いに溜息を吐いて肩を竦めた。 「……やめよう。当時の僕らは『幼馴染』だったけれど、別に恋人だったわけじゃない。誰となにをしようが本来咎められるものじゃなかった」 「そうね。ただの腐れ縁の人と、これ以上話すことはないわ」  沈黙。  時間だけが刻々と過ぎていく。外の雨は相変わらず。まだ春先ということもあって夜は非常に冷える。暖房は一応備わっているが、停電していては使えない。  くしゅん、と可愛らしいくしゃみが聞こえた。  見ると、露香がぶるりと身震いして布団を被り直していた。僕も布団を持ってくればよかった。今から部屋に取りに行ってもいいけれど、彼女とお揃いの姿になって戻ってきては馬鹿にされるか嫌な顔をされる。布団は諦めよう。  その代わり、と思って僕は立ち上がる。 「どこ行くのよ?」 「トイレ」  端的に用件を告げて僕は居間を出た。宣言通り用を足し、それから台所にも寄って居間へと戻る。 「遅かったわね」  心なしか、どこかほっとしたような彼女の声に出迎えられた。僕は露香に歩み寄ると、手に持っていたそれをすっと差し出す。 「ん」  湯気立つそれを見て、露香はポカンとした。 「なによ、これ」 「コーヒー。寒かったからコンロでお湯を沸かして淹れてきた。一人分だけ作るのも勿体ないだろう?」 「そういうことならお礼は言わないわ」 「可愛くないなぁ」  露香は僕からコーヒーを受け取ると、フーフーと少し冷ましてから口をつけた。僕もちゃぶ台に戻って一口啜る。体の芯が温まる感覚。実に心地いい。 「……なによ、今さら優しくしたって」  露香がポツリと呟いた。 「なんか言った?」 「別に」  そっぽを向かれた。彼女になんと思われようがどうでもいい。それより、僕はいつまでこうして居間に避難していればいいのだろうか?  夜はまだ長い。タオルを敷いたとはいえ、今頃寝室は水浸しだ。居間で寝るというのも、露香がいる手前なんだか憚られる。  テキトーなスマホゲームでも入れて時間を潰そうかと思った、その時――  ゴロゴロドガシャーン!! 「きゃあ!?」  外が激しく明滅し、凄まじい轟音が近所から響き渡った。 「すっごい音。どっか近くに雷が落ちたみたいだね」  今の落雷で停電が余計に長引かなければいいんだけれど。僕はそう願いながら、すっと視線を斜め下に向けた。 「で? これはどういうことだ?」  ウサギ柄のパジャマが僕の腰にしがみついていた。もちろん、さっきまでツンケンしていた栂野露香さんだ。布団もコーヒーカップも放り出して、怯えた小動物のように小刻みに震えている。 「はっ!?」  我に返った露香はバッ! と高速で僕から飛び退いた。暗いからよく見えないが、顔が赤くなっている気がする。無意識なのか、右手は僕の服の裾を掴んだままだった。 「い、いきなり大きな音がしたから驚いただけよ! 来るってわかってたら雷なんて怖くないんだからね!」 「落雷を予知できるの?」  謎の言い訳をする露香だが、その手は僕の服を掴んだまま放そうとしない。 「ぷっ」  思わず笑いが噴き出してしまった。 「ははははははは! なんだ、露香は昔と全然変わってないじゃないか!」 「そ、そんなことないわよ! 胸だって高校で大きくなったんだから!」 「いや内面の話だよ」  そういえば抱きつかれた時にやたら柔らかいものがあたっていたような……いや、よそう。ここで無駄に彼女を刺激しては小動物が猛獣に変わってしまいそうで怖い。 「昇哉だって、変わってないじゃない。なんだかんだ言って優しいし。さっきだって、私を嫌ってるなら突き放したってよかったのに」  ちゅくんと唇を尖らせる露香。そんな彼女が愛おしくて、僕は自然とその頭に手を伸ばしていた。  黒髪を梳くように優しく撫でる。 「僕が露香を嫌いになるわけないだろ。幼馴染、いや、腐れ縁なんだから。実は、あの日からずっと仲直りできなかったことを後悔してたんだ」  本心を告白する。今なら素直になれる。今なら、受け入れてもらえる。そんな気がしたから。 「……私も、三年間ずっと昇哉のことばかり考えてた。ここで再会した時、本当は凄く嬉しかったわ」  されるがまま頭を撫でられていた露香は――かぁあああああっ。薄闇でもハッキリわかるくらい紅潮していた。 「うん、急に可愛くなった」 「うるさいわね!」  撫でる手を跳ねのけられた。僕の服もようやっと解放される。僕たちは互いに顔を見合してクスリと笑った。 「やっぱり私、出て行かない。ここは安いし、憧れの日本屋敷だし、昇哉もいるから」 「僕も今さら別の住居を探すつもりはないかなぁ。明日不動産屋に雨漏りの件を報告しないと」  その雨漏りのおかげで僕らは仲直りできたわけだけれど、流石に放置するわけにもいかない。  すると、露香がなにかを閃いたように胸の前で両手を合わせた。 「なら一緒に行きましょう。ついでにこの街を探検するの」 「なんだかデートみたいになるね」 「デートでいいんじゃない?」  僕たちはここに来てようやく『幼馴染』から『恋人』に昇格したようだ。それからは最初のギクシャクした関係が嘘だったかのように、お互い寝落ちるまで三年間の溝を埋めるつもで語り合った。  雨は、いつの間にか止んでいた。
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