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「人の顔見て、何をにやけているんだよ?」
ソファで寝コケていた先生もとい、彼は目を開けた。
「少しばかり青春を謳歌していたの」
まるで猫を撫でるように、伸びた無精髭に手を添わせる。
キスはイヤだけど、手でなぞるのは好きだった。
「なんじゃそりゃ」
私の腰を惹き付け、目覚めにキスをしようとする彼の口を塞ぐ。
「チクチクするからヤダ」
『ひたい《したい》』
髭を剃らないとヤダというのに、いつだって私は我儘先生の押しに弱い。
ピアノも結局、何度もせがむ彼に根負けして弾いてしまったし、卒業したその日に私は彼に奪われた。
そればかりか春には婚姻届けに判を押しているという始末。
いやはや、如何なものかとモラリストな私は少し考えこんでしまう。
少しばかり道を外しかけはしたが、私は歴とした優等生だったというのにこの体たらくだ。
「直人さんはもしかしなくとも不良だったの?」
『ひらなかったの?《知らなかったの?》』
私に唇を押さえ込まれたまま、彼は目をパチパチと瞬いた。
「私、直人さんのこと知らないこと結構多いね」
私は仕切り直して、居を正した。
彼も然りだ。
今更ながらに膝を付き合わせて、経歴調査に入る。
「あんまり褒められたものじゃあないけど、それなりに青春は無駄にして生きて来たかな」
「盗んだバイクで走り出すとか?」
「何言っているのさ?それは歴とした犯罪行為だよ」
数学の先生だけあって、どうやら彼にあの情緒感は伝わらない模様。
不登校は勿論、暫くはニート生活だったことを彼は明かした。
「俺の場合は、透子みたいに何かがあったわけでもないから厄介だった。けど、厄介だった分、厄介な奴の気持ちも分かるんじゃあないかって、思ったのが始まり。色々無駄にして、色々なことに目を背けて、家族や友人を傷付けた。それでも気力が沸かない。そんな駄目さ加減を骨身に凍みて知っていることが、今の俺の強みかな」
彼は苦く笑う。
「透子の言う通り、俺だって弱い人間だよ。でも、『人生は最高だぞ』と、思える瞬間はいつだって、誰だって、きっと作り出せる筈なんだ」
私もそれを知っている。
今だってそうだ。
「幸せだなって思っていたの。私、直人さんを逃すような機を待たなくて良かった」
私たちの結婚は当然にして反対された。
時期尚早じゃあないのか?
高校を卒業したと言っても、私はまだ学生の身空だというのに、世間体や歳の差を考えたのか?
そんな周りの声や、自身の心の声にさえ聞こえないふりをして、私は彼の手を選んだ。
「「ありがとう」」
私たちは綺麗にハモる。
勿論、そこに込めたのは感謝だけの気持ちじゃあない。
互いに見つめ合い、笑みを零し合う。
ほらね?
やっぱり結局のところ、彼に唇を委ねてしまうことになるのだ。
あの日の約束は、『いつか心置きなくキスを交わそう』そうした情緒を含んでいたのだから、まぁ、良いのだけれどね。
fin.
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