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「いらない銀はありませんか」
道端のベンチに座っていた男が、唐突に声をかけてきた。
深く被った真っ黒な山高帽のせいで顔は見えない。
喪服みたいな黒スーツに、指輪、ネックレス、ピアス、ブローチ、ネクタイピン、男物から女物まであらゆる銀で飾っている。
「銀、ですか?」
「いらない銀はありませんか。記憶も一緒に」
男は低い声で、そっけなく、それだけ言った。
記憶も一緒に。
……もしかして、記憶を消してくれるとかいう、あの都市伝説のことかしら。
数日前、テレビをつけたら偶然流れていた心霊番組を思い出した。名前は、確か、シルバーマン。
記憶を消してくれる、というのが、微かに心に引っかかっていた。
「あなた、物にまつわる記憶を消してくれるの?」
「銀でしたら」
言葉少なな男にためらいながらも、トートバッグの底から小さな財布を取り出す。黄色地にピンクの花柄。
その中から、白い布でくるんだスプーンを出して、男に見せた。もうすっかり家事をしなくなった手に、すっぽりとおさまるくらい小さなスプーン。
「娘の、なんです。生きていれば四歳でした。……二歳で、いなくなってしまったので。ずっと持っていたんですが、もう、帰ってきてはくれませんから」
母親だった女性は悲しそうに微笑んで、涙を拭った。
夫は去年、家を出ていった。シルバーマンと遭遇したのも、きっとそういうことだと思った。
「あの子と、約束したんです。お誕生日だから、今夜は美味しいものたくさん作るね、って。あの子の大好きなスープ、食べられないまま冷めちゃったんです。あの子は車に轢かれてしまって……」
ぷっくりとした可愛らしい手のひら。たどたどしくスプーンをにぎって、母親が手を添えてそっと唇に運んであげる。
懐かしい情景が思い浮かんで、彼女はひとしきり涙を流した。
「……二度目のご利用、ありがとうございます」
男がぽつりと言った。
顔を上げたときにはもう、男の姿とあの子のスプーンは消えてしまっていた。
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