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「いらない銀はありませんか」
「……ひぇっ」
いきなり背後から呼びかけられて、彼は身を縮めた。
夜の暗闇の中、街灯の光が男のアクセサリーを銀色に輝かせている。目立ちそうだからやめてほしい。
男から距離を取り、路地裏から顔を出してアパートの様子を伺う。
窓にはまだ明かりがついていた。カーテンに映る人影は、彼女ひとりだ。
「あんたは誰なんだ? 怪しいセールスマンか」
「いらない銀を集めています。記憶と一緒に」
目深に被った山高帽の下には、きっと表情のない不気味な顔が浮かんでいるのだろう。
いらない銀か。
「他を当たってくれ。何なんだ、こんな時間に」
「それ」
指輪をいくつもはめた男の手が、彼のパーカーのポケットを真っすぐに指し示した。
「これはいらない銀じゃないよ」
腹をかばうようにして言い返す彼の声は震えていた。
「今夜、使うんですか」
「……なんで知ってるんだよ。あんた、警察か? あいつに通報されて来たのか。……あ、あいつが悪いんだぞ、あいつが俺のこと裏切るから」
将来を誓い合った仲だったのに、式の直前で他の男と一緒になりやがった。あなたを嫌いになったわけじゃない、もっと好きな人ができてしまったの、だからごめんなさい、なんて。
嫌いじゃないなら、せめて友達でいてほしかった。……いや、違うか。彼女は俺に気を遣ってくれたけど、俺が彼女を許せなかったんだ。
「……俺、誰かを好きになったのはじめてだったんだよ。なのに、こんなことってないだろ。やっぱり裏切りだよ。全部あいつが悪いんだよ……」
一緒に住んでいた彼女を罵倒し、帰ってくるなと家を追い出した。それでも彼女は連絡をくれたし、何度も謝ってきた。だから直接会いに行ってやったのに、男のアパートに逃げ込んでいた彼女の怯えた顔に、余計に腹が立った。
電車で同じ車両に乗った。仕事に行くときも買い物に行くときも後をつけていった。ふとアパートの窓から外を見たとき、待ち伏せる自分を見つけて怯えた顔をしてくれるのが心地よかった。
「……そっか、だからかな。だから俺、嫌われたのか。あいつ正解だったよ、俺なんかと結婚しなくて」
これから捕まるのだと思うと、自然と諦めがついた。
ケンカしたときのことを思い出す。俺はもしかして、自分では対等にケンカしているつもりでも、一方的に彼女を傷つけていたんじゃないだろうか。
ポケットから包丁を投げた。足元に転がった包丁を、男がゆっくりと拾い上げる。
「……は、なんだよ。あんた本当にセールスマンか何かなのか? 警察じゃないのかよ。なんか、損した気分」
男は包丁を街灯にかざす。
銀色の刃先がきらりと光る。
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