番外編1 陸の帰京

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番外編1 陸の帰京

JR中央線の国分寺駅に来たのは初めてだが、駅ビルはデパートになっており、思っていたより大きかった。美咲が東京に来てまず驚いたことの一つに、東京という町は、ちょっと郊外でも、知らない名前のけっこう大きなターミナル駅があって、その町から出なくても暮らせるほど、何でも揃っていることがある。 梅雨が降りしきる土曜のお昼、美咲が国分寺駅で降りた時、構内はけっこう混雑していた。西武線への乗り換え口もあり、コンコースがこんなに広いなんて、母の実家がある県庁所在地の佐賀駅よりも国分寺駅のほうが大きいと思った。 教育実習期間も半分が過ぎ、今日は陸が大月から戻ってくることになっていた。 陸の住んでいるアパートがある駅には各駅停車しか停まらないので、大月から急行で戻ってくる陸を迎えるため、国分寺で待ち合わせてお昼を一緒に食べることになっていた。時刻表をみると、二時間に一本ほど東京駅行きの直通があり、大月から全く乗り換えずに一時間ちょっとで国分寺に到着する。 美咲は九州の出身だから、未だに関東地方の地理には不慣れなため、最初、大月と言われても全然ピンと来なかった。がしかし、陸がたまに、頑張れば通学できるんだぜ、と言うのもあながち嘘じゃないかもと思うほど、大月は遠くなかった。 改札の外でちょっと待つと、すぐに陸が手を振って出てきた。離れていたのはたったの二週間なのに、もう二ヵ月ぐらい会わなかったような気がする。付き合いだして三ヵ月、わたし、本当に陸に恋をしているんだなって美咲は思う。 「待った?」 「ううん。ちょっと早く来て、服を買ったりしてたから」と言って、美咲はショップの紙袋を陸にみせた。 「そうなんだ。じゃあ、まずメシだな……昨日言ってた、タイ料理? ベトナム? だっけ、そこに行ってみる?」 「うん。そうしよ」 自然と手がつながれ、二人は北口にでる階段を下りた。           * 「で、どよ? 東京の高校生は?」 少し迷ったが、歩いて五分ほどのビルの地下にあったベトナム料理屋は、フォーという米粉で作った麺類が美味しいことで有名らしく、土曜の昼ということもあり、そう広くはない店内はけっこう混んでいた。 美咲たちは運よく、奥の二人掛けの小さなテーブル席に座れた。メニュー決めはちょっと迷ったが、牛肉のフォーとバインミーと呼ばれるベトナムサンドウィッチを注文し、二人で分けることにした。 「中堅の都立高校らしいんだけど、いろいろと驚くことばかりだわ。陸、知ってた? 都立高校って百八十校もあるんだって。でもって、私立も同じ以上にあるそうだから、都内だけで高校って四百校超えるんだよ。神奈川とか埼玉とか近郊を入れたら、もっとあるんだよ」 「へぇ、そうなんだ。全然想像つかないな。美咲の地元、福岡は大きな町だからけっこう多いだろうけど、山梨なんて小さいから、たしか私立を合わせても五十校もないと思うよ。名前聞いて全く知らない学校なんてほぼないし」 「福岡も同じようなもんだよ。高校の受験案内パンフレットなんて、厚さとかなかったもん。それが、今の高校に東京の高校案内って本があったんだけど、辞書みたいなの。五センチくらい厚さがあるの」 「だから、東京出身者っていっても、あいつら全然互いの学校のこととか知らないんだな。全国的に有名な進学校ぐらいしか、名前聞いてもわからないみたいだし。こっちに来て、初めて東京のいわゆるお嬢さん学校みたいなとこ知ったんだけど、だからって、都立高出身者に聞いてもよくわからないみたいだし。東京の人って、同じところに住んでるのに、すれ違っているだけというか、パラレルワールドみたいに暮らしてんだなって思うよ」 「でも大学っておもしろいよね。そんな人たちが一緒くたになって、パラレルがワンワールドに統一されるみたいな」 「まさにそう。いいこと言うね」、陸がちょっと笑いながら返した。 「統一されているようで、内部は分裂したままってのも、あるように思うけどね」 「そうだね」 美咲はちょっと自分のクラスを振り返ってみた。自分は地方出身女子として全然クラスに溶け込んでいないように思う。 「で、わたしんとこの実習校、偏差値六十ってとこらしんだけど、私服だから、わたし達大学生と同じような見た目の子達が多いよ。お化粧してる子もいたりして、五歳ぐらい年下なはずなのに、同級生でもおかしくなさそうな子もいる」 「そうなんだ。街で女子大生かなって思ってすれ違っている子は、実は女子高生だったりするんだ」 「そんな風に思って見てるんだ」 美咲はわざとちょっと非難するような声をだした。 「いやいや、一般的な話だって。逆に、私服でイケメンの男子とかもいるんだろ?」 「いるいる。なんかね、読モっていうの? 雑誌の読者モデルによく登場してるって男の子がいるの。すっごいイケメン。将来芸能人とかになったら、応援してあげようかなって思ってる」 美咲はスマホを出して、その雑誌のウェブサイトで読書モデルのページをめくると、その男の子がすぐにでてきた。 「これこれ」 「へぇ。たしかに、デビューできそうじゃん。もう出来上がってる感じだな」 「でしょ。でね。ちょっとあまり大きな声では言えないんだけど、なんか、英語の実習に来ているS女子大の子がね。すっかり熱を上げてるっていうか……」 美咲は声を落として、ヤバそうな内容を陸に伝えた。 「マジかよ」 「まあ、彼はすっごいモテ男君だから、マジで相手にすることはないだろうけどね」 陸は小さくため息をつきながら、つぶやいた。 「思い出した。俺、高校の時、国語の教育実習の先生、ちょっと好きだった」 「そなの?」 「美咲も気をつけろよ。男子高校生なんて、そんなことしか考えてないんだから」 陸はじっと美咲の目をみつめ、本当に心配そうな声を出したので、美咲はあまりちゃかした返事はできないと思った。 「わかった。わたしは大丈夫」と言うと、美咲はやっと半分食べたバインミーを陸に渡し、陸の側にあったフォーの器を自分のほうに引き寄せて、そのまま同じ箸で食べ始めた。 「これ、おいしい! でも、もっと辛くしていい?」 「いいよ。もう全部食べて」 美咲は、テーブルに置いてあった、見るからに辛そうな真っ赤な調味料を手に取り、けっこうな量を入れた。 「で、陸は例の元カノとは何にもないの?」 美咲はわざと意地悪そうに聞いてみた。 「なんもないよ。ただ、実習生十四人のうち、十人が卒業生で、浪人して学年が上の人が二人いるから、八人が同級生なんだけど、さっそく先週末はプチ同窓会したよ。みんなそれぞれがいろいろ声をかけたら、地元に残っているやつらが結構きて、結局三十人ぐらい集まってさ」 「いいなぁ。楽しそう。わたしもやっぱり帰ればよかったなぁ」 「たださ。いまだに周りの連中、俺と涼子のこと、妙に気を使うって言うかさ。俺達はもう何とも思ってないから、普通に話したりしてるんだけどね」 「そうなんだ。普通に話したりしてるんだ」 美咲は、いまだに全く会話の無い自分と翔太のことをちょっと思い出した。 「ねえ。陸の史学科のクラスとかって、クラス内で付き合ってる人たちいる?」 「ああ、一組いるね。あいつら一年のときからだから長いよな。卒業したら結婚とかするのかなあ。そうしてくれたらいいけど。もし別れたりしたら、同窓会とか呼びにくくなるよな」 「史学科って何人だっけ?」 「二十人だよ」 「それは気まずくなるかもね」 「やっぱり、近場で手を出しちゃまずいでしょ。教訓、教訓」と言って、陸はにやっと笑った。美咲は自分のことを言われたように思ったが、陸にわからないように心の中で反省した。 「さ、帰ろうか」 陸が伝票を持って立ち上がり、美咲もそれに続いた。 国分寺の駅ビルにある大手高級スーパーで、夕食に食べられそうなものをみつくろってから、東京行きの各駅に乗り、二人は陸の部屋に向かった。 並んで立った車内も、駅からの道も、はやる心で結ばれた二人の手が離れることはなかった。           * 部屋のドアを開けるやいなや、荷物も置かないまま、陸は美咲を抱きしめて長いキスをした。 舌が絡まるとともに、美咲は頭の芯がクラクラしてくるのを感じたが、このままなし崩しは嫌だなと思って、くちびるが離れた瞬間に、「冷蔵庫にすぐに入れなきゃ」と言い、柔らかく陸の手を押し止めて体を離した。 陸の部屋にベッドはない。六畳と四畳半のうち、畳敷きの四畳半を寝室として布団を敷くようにしている。押し入れがあるので、ちゃんと上げ下げすればいいのだが、面倒だからいつも部屋の隅に畳んである。 買ってきた物を冷蔵庫に入れて、はおっていた薄手のカーディガンを脱いでハンガーにかけると、美咲は「先にシャワー使うね」と言って、髪をゴムで結んでアップにし、陸を艶っぽい目でみつめた。 二人はもうやることを決めていた。そのために陸は帰って来たのだ。 陸は「おう」と言い、「そだ。ボディーソープ、もうないかも。棚に詰め替えあったと思うからよろしく」と続けた。 美咲がバスルームから出てくると、布団が敷かれ、洗い立てのシーツが掛けられていた。 「シーツ、洗ってくれたんだ。ありがとう」と言うと、Tシャツと短パンの部屋着に着替えた美咲は、布団の上に寝転がり、適度にノリのきいたシーツに頬ずりした。 「ノリがきいてるじゃん。陸君、さすがだね。いい主夫になれそうだよ」と笑顔で言うと、陸も笑って「だろ?」と言いながら、美咲に覆いかぶさってきた。 「ダメダメ、ちゃんとシャワー浴びてきて。ほら、こんなに汗かいてるのに、せっかくのシーツを汚しちゃダメでしょ」と言って、陸を押し戻した。 部屋に入ってすぐにエアコンを入れたのだが、梅雨時の湿気と暑さが和らぐにはもう少し時間がかかりそうだ。 陸はシャワーを浴びにバスルームに入った。 その間、美咲は陸が出て来るのを心待ちにしていた。 わたしって、普通の女の子よりエッチが好きなんだろうか。時々考えることがある。今回も、どちらかと言えば美咲からお願いして帰ってきてもらった。でも、陸と心だけでなく体もつながりたいと思うだけだし、それが恋というものじゃないだろうか。誰でもいいわけじゃない。今は陸じゃなきゃダメだし、他の人とセックスしたいとは全く思わない。 正直、自分でもモテるほうだとは思う。だから今までも、下心がある男友達に襲われそうになったこともあるが、流されて許したことは一度もない。陸とはしたいと思っても、その行為自体がしたくて、誰でもいいからワンナイトなんてことはありえない。美咲はあらためて思う、わたしは自分が選んだ好きな男としかしない。 陸が素っ裸でバスルームから出てきて、仁王立ちしながらニコっと笑った。美咲はクスっと笑ってしまって、冗談ぽく「カモーン」と言って誘ってみた。 すりガラス越しに外の光が入る昼下がりの部屋で、美咲と陸は二人だけの飾らない時間を存分に楽しんでいた。 一時間ほど経っただろうか。気づくと、外から激しくなった雨の音が聞こえてきた。 「もっと声出しても大丈夫かな?」 声にならないような声で美咲がつぶやいた。 「いいんじゃない」 陸の声が耳元から身体全体に低く響く。 陸がわざわざ会いに帰ってきて、身体に触れてくれるのが本当に嬉しい。これでまた明日からの実習も頑張ろうと思える。           * 日曜の夜、昨日と同じ国分寺駅に二人はいた。駅ビルにある洋食屋で夕食をとり、美咲は陸と一緒に大月方面の電車を待つホームにいた。 「じゃあね。また再来週」美咲が言った。 「おう。実習、あと一週間、頑張れよな」 「陸こそ、あと二週間、頑張ってね」 電車がホームに入ってきた。 美咲は少し背伸びをして、陸の頬にキスした。すると、陸が軽く美咲を抱き寄せてくちびるに軽くキスを返した。 「じゃ」 「バイバイ」 陸は乗り込むとすぐにドアが閉まった。車窓から手を振る陸をみつめて、美咲も手を振り返した。 そのまま電車が見えなくなるまで、美咲はホームで見送った。 「さ、帰ろう。帰りに駅前のスーパーに寄ろうかな」 美咲は、東京方面の電車がくる反対側のホームに向かうため、足取り軽く階段を駆け上がった。
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