番外編2 夏休みのキャンパスで

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番外編2 夏休みのキャンパスで

「え? 今日休みなのかよ」 菅原陸はキャンパスの正門横にある文房具屋にきたのだが、大学が夏休みのせいか、平日だというのにCLOSEの札がかかっていた。 夏休み中ではあるが、陸は今日、図書館に資料を探しに来ていた。キャンパス内の生協の売店は開いているが、そこに目当ての濃さのシャープペンシルの芯がなかったため、陸は文房具屋に探しに来たのだった。 「しょうがない。南門の向こうにある店まで遠征するか」 陸はぶらぶらと広いキャンパスを横切り、普段ほとんど行くことのない理工学部校舎のほうに歩いて行った。理工学部の校舎群を抜けたところにある南門の向こうに、もう一軒文房具屋があるのだ。 「このあたり、美咲がいる校舎なんだよな。どこかな」 陸のいる文学部の校舎は、いかにも大学の校舎という感じのちょっと古風な西洋建築様式であるが、理工学部という看板を超えた所から、校舎はコンクリートの打ちっ放しとなり、いかにも実験室とかがありそうな建物群に変わっていた。 「なんか違う学校みたいだな」 美咲を初めて見たとき、単純に可愛い子だなと思った。そして話をしてみると、視点が違うというのか、久しぶりの理系の話が新鮮に感じられた。 高校までは、二年から理系と文系にクラスが別れていたとはいえ、部活やら委員会やらで、理系の連中との交流もあったのだが、大学に入ると、全くなくなってしまった。 特に同じ学科内では、似たような興味の連中ばかりで、それなりに専門的な話が通じるのは楽しくもあるのだが、内容が偏っていることは否めなかった。 だから美咲の話は驚くことばかりだった。常識の範囲が違うのか、時に、そんなことも知らないの? それでよく生きてるね? なんて辛辣なことも言う。だが、そういうきつい物言い自体も、周りにいる女の子たちとは違っていて新鮮に感じた。今でも、美咲と一緒に刑事ドラマを見ていたりすると、DNA鑑定について詳しく説明してくれたり、自分がよく分からない、でも常識として知っておきたいと思っていた科学の基礎知識をいろいろ教えてくれたりする。また、知識だけではなく、物事の考え方自体も、そのような訓練を受けているせいなのだろう、論理的で、常に感情とは分けて物事を客観的に捉えているようなところがある。 セックスについてもそうだ。今まで付き合った何人かの女の子たちは、皆、処女だったからかもしれないけど、なんだかいつも、ただ恥ずかしそうにしているだけだった。大学二年のときに付き合っていた子なんか、恥ずかしいどころか、身体が拒否するのか、どう頑張っても結局最後までできなかった。 美咲も最初は恥ずかしそうにしていたし、もちろん今でもそんなときもあるのだが、快楽を得るための肉体的欲求を隠そうとはしない。人体とはそういう風に反応するものでしょ、と割り切っているようなところもあるし、行為そのものや男性の身体を観察したいと思っているようなとこもある。           * しばらく歩くと、一階にカフェテリアがある校舎が見えてきた。 「こんなとこに食堂があるのか」と思いながら、ガラス張りの内部を覗くと、美咲がよく、まるで研究所に勤めているようなものと言っている通り、夏休みだというのに、ちょうど遅めのお昼の時間ということもあってか、けっこうな人で混んでいた。 ふと見ると、美咲が見えた気がした。白衣を着て、コーヒーの自販機で飲み物を買っているところだった。白衣姿の美咲を見るのは初めてだ。 美咲、学校では白衣を着てるのか。なんかいいかも。陸は夕べの美咲の姿態を思い出しながら、白衣姿の美咲が自分を誘っているところを想像してしまい、あわてて首を振った。 すると美咲は、コーヒーを手に持って、にこにこしながらテーブル席のほうに向かって行った。なんとそこには男がいた。同じく白衣を着ているが、派手な銀色の髪にピアスを付けた、これが理工学部の学生か? と疑いたくなるような男が一人で座っていた。 「誰だ。あいつは」 陸は思わず校舎の脇にあった大きなヒマラヤスギの陰に隠れて、美咲を覗き見た。 美咲とその男は、すごく慣れ親しんだ感じで談笑していた。それも、たまに美咲がその男の腕を突いたりしている。 陸はどうしたものかと思いながら、しばらく見ていたが、このままここにいても不審者と間違われそうなので、美咲とその男の様子を横目で見ながら、うしろ髪引かれる思いで文房具店に行くことにした。 目当ての店は開いていて、首尾よく欲しかったシャーペンの芯が手に入った。 先ほど来た道を、カフェテリアの手前まで戻ってきた。 すると、ちょうど美咲とさっきの男が一緒にカフェテリアから出てきたところだった。 驚いた陸は、十メートルほど手前で立ち止まって、固まってしまった。 すると美咲が陸に気づいた。 「あれぇ陸ぅ? どうしたの? こんなところで」 美咲はそう言うと、陸のところに小走りで近づいてきた。 「正門の文房具屋が休みだったから、こっちまで来たんだ」 「そうなんだ。連絡してくれれば、お昼一緒に食べてもよかったのに」 美咲がくったくのない明るい声で言うのを聞いて、陸はなんだかちょっと安心した。 「ああ。で、誰あいつ?」 陸は小声で美咲に聞いた。陸がその男を見ると、その銀髪野郎もじっと見返してきた。間近で見ると、遠目から見た以上にイケメンだった。 「あっ、直樹。クラスメートなの」 美咲は答えると、陸の腕に手をまわし、直樹という男の方に陸を引っ張っていった。 「直樹ぃ。紹介する。わたしの彼氏、陸君」と言うと、美咲は陸の左腕に両手でしがみついてきた。 「こんちは」 陸はしょうがなく挨拶した。 「こんにちは」と直樹も返すと、「美咲、こんなとこで、イチャイチャすんなよ」と続けて、なんと美咲のおでこに軽くデコピンした。 「痛! やめてよぉ。イチャイチャなんてしてないし」と美咲は言い返したが、そう嫌がっている風には見えなかった。 直樹は「じゃ」と言い、ニヤっと笑って陸に意味深な視線を送ったかと思うと、向かい側の校舎に入って行った。 「な、なんなんだよ、あいつ。美咲のこと呼び捨てにして、まるで自分の女みたいに」 「陸君、妬いてるの? 直樹は周りの女は全部自分のものみたいに思ってるとこあるからね。心配しないで。彼とはなんもないから。でも、クラスでは一番の友達なんだよね。お昼とかも一緒に食べること多いし」 「そうなのかよ。あまり心穏やかじゃないね」 「彼は生物工学科始まって以来のスケコマシ野郎って言われてんの」と言って、美咲はケラケラと笑った。 「今は彼女いるのかなぁ……下世話な話だけど、後輩の子とか、逆に先輩とかも、直樹のお手つきになってる子がけっこういるって噂なんだよね。ただ、昔から、わたしに対してはあくまでも友人って立場を守ってるから。だいたい、わたしは彼をそんな目で見たこと一度もないしね」 「でも、あいつ、俺に敵意のある視線送ってきたぜ」 「それは気のせいだよ。おそらく、陸のこと、ちょっとからかったんだと思う」 「からかったって、よけいムカつくな」 「ごめんね。なんか嫌な思いさせちゃったね」 美咲が謝ったので、陸はイラついたことをちょっと反省した。 「美咲は悪くないよ。それに、彼氏って紹介してくれて嬉しかったし」 陸の腕に絡んだままの美咲の腕に力が入ったのがわかったが、さすがに周囲に人がいる大学構内でこれ以上のことはできない。 「じゃ、わたし行くね。遅くなっちゃうと、帰るのも遅くなっちゃうし」と言って、陸の腕を離すと、美咲は手を振りながら、生物工学科という看板が掛かっている向かいの校舎に入っていた。 直樹、あいつなんなんだ。だいたい、あの格好。そりゃ、文学部にもバンドとかやってる連中にあの手のやつらはいるけど、そういう連中は基本めったに学校に来ないし。それに美咲の態度もあんなに親しげで。 さらに、美咲はからかっているだけと言ったけど、あいつ絶対に美咲に気がある。俺にはわかる。それもかなり本気だ。美咲を自由に泳がせといて、結局最後は自分のとこに来るはずだ、みたいな妙な自信を持っていやがる(これに関しては、陸の予想は当たっているのかもしれない。これから何年も何年も後の物語だ)。あんなやつと美咲は毎日昼飯食ってるのかよ。美咲に言って、やめてもらおうか。でもそれじゃあ大人げないしな……いや、やっぱり正直に言おうかな、それはないな…… 陸は答えの出ないことをぐるぐると考えながら来た道を戻った。 でも、あのカフェテリアを見ても、美咲が校舎に入っていた後に同じ校舎に入って行った連中を見ても、男ばかりだった。想像はしていたが、美咲はいつもあんな風に男達に囲まれているのか。 理工学部の敷地を離れて、文系学部の校舎のところに戻ってきた。周囲には夏休みらしく人っ子一人いなかった。ふと後ろを振り返って理工学部の校舎の方をみると、白衣や作業着姿の人が何人も行き交っており、活気が感じられた。同じキャンパスなのに、まったくの正反対だ。 まあ、考えてもしょうがないな。美咲はこれからもああやって男らに交じって勉強したり、仕事したりしていくんだから。いちいち目くじら立ててもしょうがないか。それにしても、白衣の美咲はよかったなぁ。お願いして、今夜、着てもらったりして。 陸はもう一度、白衣姿の美咲が誘ってくる姿を想像しながら、図書館に入って行った。
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