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番外編3 バス停にて
来週、美咲は夏休みの帰省で福岡に一週間も帰ってしまう。寂しいけどしょうがない。その間に頑張って今やっている資料まとめを全部終わらせてしまおう。
そんなことを考えながら、菅原陸は駅前の大学行きのバス停に並んでいると、長身、銀髪の目だった男が歩いてきて陸の後ろに並んだ。
「こいつ、あの銀髪野郎だ。直樹とかいった」
陸が振り向くと、銀髪野郎と目が合ってこっちに気づいたようだったので、反射的にちょっと会釈した。
「あぁ、美咲の遊び相手か」
直樹がちょっと笑いながら言った。
陸はその瞬間、殴ってやろうかと思うほどカチンときたが、それは相手の思うつぼだと思ってこぶしを握り締めて我慢した。
バスが入ってきて、二十人ほど並んでいた人々が次々に乗り込んだ。
最後になった陸と直樹が乗車したとき、空いているの座席は一番後ろだけだった。陸が先に乗り込み、後部座席に座ると、なんと直樹は平然とした顔で隣に座ってきた。
陸は、こいつに何か言ってやんなきゃ気が済まないと思って、バスが走り出してから話しかけた。
「あのさ、直樹君だっけ。美咲にあまり近づかないでほしいんだけど」
「あいつがそう言ってんの? 俺に近づかれるのが嫌とか」
「そうじゃないけど」
「あのさ。陸君だっけ? わかってないよ。俺の立場」
「立場?」
「俺が美咲を守ってるんだぜ」
「……?」
「俺が一緒にいれば、大抵の男は近づかないんだよ。だから、あんたには感謝されてもいいぐらいだよ」
「おまえ、何言ってんだよ!」
陸は思わず、声を荒げた。
ブブー! ブザーが鳴って、バスはあっという間に大学に到着した。終点なので全員が降車する。
直樹は早々に立ち上がったので、陸も追いかけるように降りた。
先に降りた直樹が振り返った。
「じゃ、美咲をよろしく。しばらくはお前に預けとくよ。くれぐれも大切に扱えよ」
薄笑いを浮かべながらそう言うと、直樹は足早に理工学部のほうに去って行った。
くそー。なんだよ。ちくしょー。俺、なんで言い返せなかったんだ。
降りた正門前のバス停で、呆然と陸は立ち尽くしていた。
美咲は直樹とは何もないと言っていたが、本当にそうなんだろうか。それにしても、何であんなに自信満々に、美咲のことを自分の女みたいに言うんだ。それも俺と付き合っていることをわかっていて、さらにその上の立場みたいな。
だがなんで、俺は言い返せなかったんだ。それはきっと、あまりにも予想の斜め上を行く話だからだ。なんだよ、よろしくって。花嫁の父か。
完敗だ。今日のこの件に関しては完敗だ。
そんなことを考えているうちに、次のバスがバス停に入ってきた。
「あれ、陸。今日学校来るんだったの?」
なんと美咲がバスから降りてきた。
「なんでここにいるの?」
「美咲ぃ……今さ」
陸は直樹のことを言おうとしたが、やっぱりやめた。
「いや、なんでもない……それより、今日お昼出れる? 俺は図書館にこもってるから、連絡くれれば、いつでも出れるよ」
「うん。いいよ。たぶん一時頃かな」
美咲は嬉しそうに満面の笑みで答えた。
「そういえば、さっきバスで直樹君だっけ、銀髪の、見かけたんだけど。彼も同じ研究室なの?」
「ううん違う。直樹は柏木研究室っていう一番大きなとこの所属。あの人、見た目はあんなチャラ男なんだけど、こないだ書いた論文が国際的に有名な専門誌の審査に通ったんだよね。三年生の時から個人的に研究室に出入りしてて、卒業研究の実験も既にそのレベルを越えちゃってる感じなんだ。うちの学年では一番の期待の星。きっと将来すごい研究者になるよ」
「へぇ、そうなんだ」
「じゃ、またあとでね。遅刻しそう」
そう言うと美咲は、ちょっと艶っぽい目で陸を見たが、ここでキスするわけにもいかないから、陸の手を取って、ちょっと握りしめてから走り去った。
研究室は違うと聞いてちょっと安心したけれど、あのチャラ男がそんなにデキる奴だなんて驚きだ。
ああ、俺も頑張らなければ。
美咲たちのような理系とは違って、文学部で大学院に行くということは、将来的な就職先として大学の研究者のポストを目指すということだ。しかしその数は全国的にみてもとても少ない。そのことを考えると、将来の不安に押しつぶされそうになる。このままここの大学院に進むより、年明けにある東大の大学院の試験を受けたほうがいいのかもしれない。美咲がここの大学院に推薦で進むみたいだから、俺もこのままここにいようと思ったけれど、将来がかかっている、女なんかに左右されてちゃだめだ。
「はは、直樹君のお陰で、ちょっとやる気がでてきたかな。感謝しなくちゃだ」
陸はちょっと笑いながら、足取り軽く図書館に向かった。
事例一 美咲 完
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