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その二 出会いの合コン
「土曜日、飲み会入ったから」
自宅で美穂は、自分のコップにビールをつぎながら、なるべく平坦な声で大輔に言った。
「了解。俺も土曜は大学の連中と飲みに行くし、日曜はいつものやつらと千葉の方だから」
テレビでは、M1を獲って最近頻繁に出るようになったお笑い芸人がクイズ番組で笑いを取っていた。二人はテレビを見ながら食事をして、いつものようにビールを飲んでいた。
大輔は美穂の家で夕食を取ることが多かった。2DKの美穂の部屋のほうがワンルームの大輔の部屋より広いし、キッチン道具も揃っているのが理由である。ただ、美穂が必ず料理するとは限らなかった。ほぼ毎日定時の五時に仕事が終わる美穂とは違い、外回りの仕事は日によってまちまちで、案外とても早く上がれることもある。そういう時は大輔が先に帰って料理を担当した。大学への入学のため静岡から上京した大輔は、一人暮らしが長かったので、案外料理は美穂より上手だった。
晩酌をしながら食事をし、テレビを見る。たまにDVDや配信で映画を見たり、一緒にオンラインゲームをすることもあった。そして交際の最初の頃こそ、その後はお決まりのように体を重ねていたのだが、そういうことも段々と少なくなり、この頃はせいぜい週に一回あるかないかの状況だった。それも、愛を確かめるというよりは、互いに生理的欲求を解消しているといっても過言ではなかった。
週末でもない限り、食事をしたら大輔は歩いて五分ほどの自分の部屋に帰って行く。結婚したわけでもないのに、すでに倦怠期の中年夫婦のようだと美穂は感じていたし、おそらく大輔もそう感じていると思っていた。
*
「美穂ちゃん、ここ、ここ!」
ここぞとばかりに着飾った白石洋子が、待ち合わせの恵比寿の高級ホテルのロビーで派手に大きく手を振っていた。
「すごーい。洋子ちゃん、気合入ってるじゃん」
二人とも会社では苗字で呼ぶようにしているが、プライベートで遊びに行く時などは、一年ほど前から下の名前で呼び合うようになっていた。
今日は洋子が企画してくれた四対四の合コンである。洋子の短大時代の同級生のダンナさんの同級生の同僚とかっていう、近いのか遠いのかよくわからない男たちが相手で、必然的に女性陣は洋子の短大仲間であったが、人数が揃わなかったので四人目として美穂が呼ばれた。
「ヨーコ、今日の服どこの? いい感じぃ」
そこに、待ち合わせてきたのか、二人一緒に洋子の同級生の渡瀬緑子と佐伯茉優が現れた。
「美穂さーん、お久しぶりです。今夜こそばっちり行きましょうね」
ボーイッシュなショートカットの緑子が美穂にウィンクした。実はこれまで二回、ほぼ同じメンバーでの合コンに参加していたので、すでに知り合いだったのだ。
「前回は美由紀さんが、まさかの、まさかのでしたよねぇ」
美穂は前回の合コンでの出来事に言及した。
「そうよねぇ。まさかあの医者が美由紀を選ぶとは思わなかったわぁ」と、皆が口々に同様な話をした。
二ヵ月ほど前に行われた医者との合コンでは、洋子が初めて声をかけて連れてきた同級生の美由紀が、四十歳になろうという眼科医と意気投合し、その後首尾よく交際に発展したのだった。
「今日はマサチューセッツPGVコンサルティングという国際的企業の方々よ。では行きましょう」
洋子は大げさな物言いで、皆に舌を噛みそうな社名を説明するかのように言った。
美穂は社名を言われてもピンとこなかったが、最近羽振りがいいことで有名な外資系コンサル会社だというのはわかったので、ちょっと期待した。きっと堪能な英語を駆使して、世界を相手にしているビジネスマンに違いない。と同時に、頭の中で(※イメージです)という文字も浮かんできて、クスっと笑いそうになった。
四人は揃ってホテルのロビーをでて、裏通りのほうに二分ほど歩き、会場となるイタリアンレストランに向かった。ここを手配したのは男性陣の幹事役だが、それを聞いて洋子が近くのホテルでの女性陣の待ち合わせを提案したのだった。
「この間美穂ちゃんが言ってた蔵前の革細工の店、先週行ったんですよ。あそこ超最高じゃないですか、品揃えも豊富で」
道すがら美穂は緑子に話しかけられた。
「でしょ。あそこは穴場だけど、知ってる人は知ってるっていうお店。ほんとに行ってくれたんだぁ。よかったぁ喜んでくれて」
「もちろん行きますよ。ミマサカカフェのシフォンケーキも最高おいしかったし」
浅草橋に隣接する蔵前(ある年代以上の人にとっては昔の国技館があった相撲の町)は、古くから皮革製品や手芸材料の卸問屋が立ち並ぶ街だったが、近年は個人客向けに販売店舗も構えて、革細工教室なども開かれており、若い女性が散策する街として、お洒落なカフェも多く立ち並ぶようになっていた。
美穂はこういう何気ない女同士の会話が大好きだ。合コンだから、もちろん今日の目的は男性との出会いなのだが、度々参加していると、案外こういう女同士の会話を楽しんでいる自分がいることに気づく。いっそのこと、このまま四人で女子会でもいいんじゃないかと思ったりもするほどだ。
*
「乾杯!」
いかにもエグゼクティブってこういう感じ? という男たちが四人揃っていた。皆背が高く、高そうなビシッとした細身のスーツを着こなしている。
高級ホテルで待ち合わせることもあって、美穂も手持ちの服の中からそれなりのものを選んできたが、男たちのスタイリッシュないで立ちを見て、ちょっと気後れしそうになった。
四人は皆三十代半ばだった。一人、すごく彫りの深い顔立ちが混じっていて、ハーフかなっと思ったら、ジョージという生粋のイギリス人だった。まさかの英語? と思いきや、大学時代から日本に留学しているので、日本語はぺらぺらだそうだ。
男性陣四人は、最初、それなりに自分たち女性陣を値踏みしているようではあったが、そこはさすがにスマートな外資系エリート、あからさまに態度に出すようなことは一切なかった。
また女性陣も、すでに百戦錬磨(笑)の面々である。心の中ではジョージとか論外と思っているのだろうが、そんなこと誰もおくびにも出さなかった。
一人ずつ簡単な自己紹介が終わって、まずは洋子たちの学校の話から始まった。
「じゃあ、皆さんは同じ学校の同級生だったんだ。M女子短ってどこだっけ? 都心? 道路標識で見たことあるような」
「半蔵門の近くです」
「あぁ、あの交差点の」
男たちは皆出身大学は違うらしかったが、ジョージがケンブリッジから東大、他の三人もハーバードのビジネススクールを出ていると言われて、女性陣は口では皆軽い調子でスゴーイ! と言ってはいたが、内心はちょっと想定以上過ぎて、頭の中身が釣り合うかどうか心配しているのが何となく伝わってきた。
「えっと、美穂さんは学校違うんですか? M女子短じゃないの?」
「えーと、わたしはこの洋子ちゃんの会社の同僚です。浅草橋にある小さい会社で」
美穂はなんとなく学校名を言いたくなくて、これまでも洋子との合コンでは同僚と言うことを強調してきた。そうすれば大抵の男は、女性の卒業した学校なんかに興味はないから、それ以上聞くことはなかった。
しかし今回、古市航大三十五歳と名乗った幹事役の男は、畳みかけるように「そうですか。で、学校はどこ?」と、再び質問してきた。
そこまで聞かれて隠すのも変だと思い、美穂は大学名を答えた。
「へぇー、宇都宮っていったら国立大学じゃないですか。だったら高校は宇都宮女子かな?」
「そうです。よくご存じですね」
「僕は群馬だから、高崎高校出身。栃木には親戚もいるしね」
航大は長身の誰もがイケメンと言いそうな男で、高崎高校から慶応大学に入り、そこからハーバードの大学院に留学したとさらっと言った。
美穂の育った宇都宮市(栃木県の県庁所在地)と、航大が育った高崎市(群馬県の県庁所在地前橋市に次ぐ市)が全く同じだとは言わないが、今はこんなエリート然とした男も、北関東の乾いた空気の中で、昔は純朴な田舎の高校生であったんだろうなと、美穂はなんとなくその姿を想像できるように思った。
宴は思った以上に盛り上がった。
このメンバーでのこれまでの合コンでも、いい男をゲットできるかどうかはともかく、洋子もその同級生たちも、皆そこそこに可愛いく、とてもノリがいいし、さらに空気を読んで合わせることにも長けていたので、盛り上がらないことはほとんどなかったが、今夜の盛り上がり方は格別だった。
それというのも、今時三十五を過ぎて合コンに来る男たちは、どんなに社会的地位は高くとも、いい歳になっても空気が読めず、自分のことを棚に上げて他人を貶めたがるやからや、何の根拠か妙に自身満々な非モテ系の男たちがほとんどだったからである。たまぁーに、気がきいた男が来ることもあったが、実は既婚者が遊び相手を探しに来ていたなんてこともあった。
結局、「いい男はすでに誰かのいい夫」とはよく言ったもので、こんな残りもんのカスの中から探すくらいなら、いっそのこと不倫でもして、よそのいい夫を略奪したほうが恋愛にも結婚にも早いんじゃないかと思ったりもする。
それが今回はどうしたことだろう。コンサルタントという仕事が実際どんなことをしているのか、女性陣には今一つよくわからないままであったが、お天気の話から芸能界の裏話といった下世話なものまで、彼らの話はどれも視点が面白く、なおかつきちんと女性目線に合わせて会話を進めてくれたので、これ以上にないほどに会話は盛り上がった。世の中、出世していくホンモノのやり手というのはこういう人たちのことなんだろうなと、美穂はひとしきり感心しながら彼らの話を聞いていた。
一次会が終わり、男たちが用意しておいてくれた貸し切りの落ち着いた小さなバーでの二次会に進む頃には、うまい具合に四組のカップルができ上がっていた。
驚いたことは、洋子がすっかりジョージと意気投合していたことだ。暗いバーの片隅の小さなテーブル席で、互いに手を握り合い、何やらぼそぼそと英語で話しこんでいた。美穂は洋子が英文科卒であったことを思い出した。
緑子と茉優も、それぞれお似合いと思える相手と話し込むなか、美穂は古市航大とカウンター席に並んでいた。
「へぇ、美穂さんは高校の先生だったんだ。じゃあ、なぜ今の会社に?」
航大は互いの経歴を話す中で素直な疑問を聞いてきた。
「…まぁ、いろいろあって」
美穂はあまり説明したくなかったので、ごまかそうとした。
「なぜ辞めちゃったの? 県立高校なら公務員でしょ。今のところよりお給料もよかったんじゃないの?」
美穂は黙ってウイスキーのグラスを傾け、氷の上でアルコールと水が交わっていく様をみつめていた。するとようやく察したのだろう、
「ごめん。美穂さん、僕、飲み過ぎちゃったみたいだ。いいよ、言わなくていいから。聞き過ぎました」と、航大は謝った。
「ううん、いいの。普通に疑問ですよね。まあなんて説明していいか…人を教えるのが怖くなっちゃったんですよね。先生の器じゃなかったってことです」
「そう…まぁ、どんな仕事も向き不向きがあるからね」
「ごめんなさい。なんか変な話になっちゃって…で、ちょっと実家に引きこもってたんですけど、今の会社の社長さんが父の知り合いで、中途採用で拾ってもらったんです」
航大はちょっと天井を見上げて、言葉を選んでいるようだった。
「今の職場は居心地いいの?」
「はい。けっこういいですよ。女ばっかりの部署だけど、嫌な人もいないし。あぁ、古市さん達みたいに、やりがいがあるとかって仕事じゃないですけどね」
「僕たちだって、そんなやりがいのある仕事ばかりじゃないよ」と言うと、航大は腕時計にチラッと目をやり、テーブルにあった伝票を持って立ち上がった。
時刻はもう十一時を過ぎていた。
「じゃ、マスターお会計お願いします。では、皆さん今日はこれでお開きにしましょう。あとはそれぞれで」と言うと、美穂の腕を取って立ち上がらせ、耳元でささやいた。
「送ってくよ」
二人だけの三次会もあるかなと、ちょっと期待していたので、美穂は肩透かしをくらったようにも思ったが、逆に好感度が上がった。遊び人ではなさそうだ。
他の人たちより一足先に店をでて、あらためて送ると言われたのだが、家の方向が正反対であることがわかった。航大は中野に住んでいた。
美穂は駅まで歩くものだとばっかり思って歩き出したが、航大は大通りにでるとすぐに手を挙げてタクシーを停めた。
「じゃ、美穂さん乗って」
と言われて、美穂が乗り込むと、航大は一緒には乗ってこないで、「はい」と言って紙を渡してきた。
美穂が何? と思っている間に、航大はドライバーに「錦糸町まで行ってください」と告げ、自らドアを軽く閉じようとした。自動ドアが閉まり、車が走りだし、美穂は後ろを振り向いて、手を振る航大に自分からも手を振った。
握った紙を確認すると、なんとタクシーチケットだった。おそらく接待用のやつだ。
美穂はあまりにスマートなやり口に驚くとともに、何だかすっかりやられてしまったなと思った。
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