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その四 合コンの成果
翌月曜日、美穂はいつものように始業の三十分前に会社のデスクでコーヒーを飲んでいた。家が近いのもあって、だいたい美穂が毎朝一番に出社していた。誰もいない朝のオフィスは、空気が澄んでいて、コーヒーがおいしい。
そこに、「おはようございます」と、なんだかいつもよりしおらしい声で、やはり家が近くて自転車通勤している洋子が入ってきた。洋子は浅草にある老舗の和菓子屋の娘で、実家暮らしである。
「おはよう。洋子ちゃん、今日は早いじゃない」
まだ他に誰も来ていないので、美穂はプライベートモードで下の名前で呼んだ。
「ちょっと朝活っていうの、始めようかなって思って」
「朝活? 何? 今から何かするの?」
「英会話のビデオで毎朝十分勉強しようかと」と言いながら、席に着くなりスマホをいじって、何やら金髪のお姉さんが映っているビデオ画面を目の前に設置しはじめた。
美穂は気づいた。
「まさかジョージのため?」
洋子はニコッと微笑んでうなずきながら、イヤフォンを耳にはめ、何やらお勉強を開始した。
「おはようございます」
部長の高岡友加里が今日もパワー溢れる笑顔で入ってきた。
美穂は挨拶を返し、洋子も挨拶を返したが、まだ始業前なので、そのままビデオを見続けていた。
そうこうしているうち、香奈枝と京香が一緒に来て、最後にギリギリの時間にバタバタと藤本友里が駆け込んできた。
今週もいつものようにお仕事が始まった。
今日も昼は、いつもの四人でテーブルを囲み、午前中にまとめて注文して香奈枝に取りに行ってもらった、評判のカフェ飯弁当を食べていた。普通の弁当屋より値段は二割増しだが、いかにも女子向けで、色とりどりにちょこちょことおかずが八品も入っていた。
「で、白石さん、そのイギリスの人とマジでお付き合いするつもりなんですか?」
京香は興味津々といったふうに洋子に詰めよって質問した。
「ジョージ。ジョージ・グラウスマンね」
洋子はなんだか得意そうに、カタカタぽくではなく、ネイティブのように発音した。
「うーん。わたしもさ、最初は考えられないと思ったのよ。留学先で出会った恋人とかならともかく、この年になると、やっぱり結婚を考えるからね。外国人なんて論外でしょ。だけど…」
「だけど?」
「なんかビックリするぐらい話が合ったのよね。日本にもう二十年近くいるから、ある意味日本人以上に日本人っていうか。日本とか日本文化を愛してるって感じで。で、うちの実家が浅草の和菓子屋だって言ったら、すっごく興味持ってぜひとも見学させてくれって言うから、早速昨日うちに来たのよ」
「はや!」と突っ込みを入れたのは美穂だった。一昨日の合コンで翌日実家って。
「まさかと思うでしょ。わたしもあまりの展開の速さに驚いてる。ああでも勘違いしないでね。わたしたち一昨日の夜、あれからなんかあったわけじゃないから。あくまでも今のところはお友達って感じだからね」
洋子はさらに続けた。
「でも聞いて。さらに驚いたのはうちの親たちよ。ジョージって、髪も栗色だし、白人にしては背も高くないでしょ。うちの親、イギリス人連れて来るっていったら、最初はかなりビビってたんだけと、ジョージ、腰が低くて、その辺の日本人以上に礼儀正しいし、でもって日本語完璧だから、すっかり意気投合しちゃったのよ」
美穂は何度か訪れたことのある和菓子屋の店内にいる洋子の親たちを思い出しながら聞いていた。
「さらに東大出っていうのでやられちゃった感じ。彼が帰った後に、『洋子、これからは国際化の時代だ、お前の名前は広く世界に通じるようにオノ・ヨーコから取った』とかって、初めて聞くような話までして、最後には『あいつなら国際結婚もあり』とか言い出したのよ。まあうちは、兄が店継いでるしね。それにわたし自身も、英文科にしたのは海外に行くことに憧れてたからだったって、そんなことも思い出したの」
「それで突然英会話の勉強始めたんだ。で、ジョージはどこまで本気そうなの? その後連絡あった?」
美穂は自分のことを考えながら、気になることをそれとなく聞いてみた。あれからまだ、古市航大からは何の連絡もない。
「あるよ。今晩も食事に誘われてる」
「えっ、三日連続会うってことですか?」
香奈枝がすかさず確かめた。
「それ、けっこう本気かもですね」
「でしょ。わたしが一番驚いてる」
洋子の話がすご過ぎて、同じ合コンに美穂も参加したことは話題にも上らないうちにお昼休みは終わってしまった。
美穂も少しは航大といい感じだったことを自慢したかったのに、話す時間は全くなかった。
*
美穂はずっと古市航大からの連絡を待っていた。最初の三日は四六時中LINEをチェックしていたので、家で一緒にいた大輔に怪しまれたりもしたが、一週間たち、二週間たつ頃には、すっかりあきらめモードになっていた。
「またご一緒したい」というのは、社交辞令に過ぎなかったのかと思い始めてきたある日の夕方、LINEの着信に古市という名前を見つけた。昼間、仕事中にメッセージが入っていたのに気づかなかったのだ。
『お仕事中失礼します。もしよかったら、今週土曜日どうですか? 美味しそうなポルトガル料理の店を見つけました。ぜひご一緒できたらと思います』というもので、この後に渋谷の奥のほうにあるお店のウェブサイトが添えてあった。
美穂は飛び上がりたいほど嬉しくて、駅に向かう帰りの路上で、周りに人が大勢歩いていたにもかかわらず、思わず「やった!」と小さな声で叫んでしまった。
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