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その四 一年生 冬
「翔太君、分子遺伝学Iのレポートできてる?」
年が明けて一月、翔太の部屋は隙間風が入るのか、エアコンの暖房を入れてこたつに入っていても少々寒かった。二人は小さなこたつで向かい合って、学年末のレポートや試験対策の勉強を一緒にしていた。
あの夜に付き合いだしてから、美咲は翔太とずっと一緒にいたかったし、翔太に触れたいという欲求を隠さなかったから、翔太の部屋を訪れるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。
カタカタと二台のノートパソコンから軽快にキーボードを叩く音が聞こえている時間もあったが、付き合い始めてまだ二ヵ月ほどの二人は、気がつくと軽いキスから始まり、じゃれ合うように互いの体に手が伸びていった。
「ダメダメ。このレポートを仕上げるのが先だから。ちょっとお茶いれるね」
美咲は翔太の手を優しく押しとどめて立ち上がった。
翔太はちょっと残念そうな顔をしたが、「コーヒーの粉、買っといた。その棚の左」と言った。
美咲はすでに勝手知った感じで、小さな流しの上の棚からコーヒーの粉を取り出し、コーヒーメーカーにセットした。
前回来た時は粉が切れていたのに、美咲がコーヒー好きと知ってちゃんと買っておいてくれた翔太の心遣いが、美咲はとても嬉しかった。
翔太は決して目立つタイプではなかった。背は高い方だが、眼鏡をかけていること以外あまり特徴がないので、美咲は四月に初めてクラス全体で顔を合わせたとき、そこに翔太がいたかどうかよく覚えていなかった。「もちろんいたよ!」と、翔太にそのことを言うと怒られるのだが、そのぐらい目立たない存在だった。
眼鏡を取ると、案外まつ毛が長くて、イケメンという部類に入ると思うのだが、なんせ服装から何から地味だった。
クラスで翔太は、主に自分と同じ北国からきた男子三人と一緒に居ることが多かった。そして彼らもまた、絵に描いたような地味な理系大学生である。出身県はそれぞれ違うのだが、彼らは皆最初訛りが出ないように気を付けていたそうで、お国訛りが少々でても、気楽に話せたのがクラスでこの三人だったそうだ。もちろん今時の子だから、小さい頃からテレビで聞いている標準語を話すのにそれほど苦労はなかった。がしかし、ひょんな時に、その地方でしか使わない言葉や、独特なイントネーションがでることがある。
美咲は翔太と二人で帰る機会が増えてから、たまに出てしまうそのお国訛りがとても愛らしいと感じていた。また美咲も、時に博多弁がでるのだからお互い様だ。ただし博多弁は、使うと皆に可愛いと褒められることが多かったので、美咲は意識してわざと使うこともあった。
また翔太は、とても良い家庭で育ったことが感じられる男子でもあった。地方出身者としては珍しく中高一貫の私立の男子校を出ていた。また翔太のアパートは古くはあったが日当たりがいい二階の角部屋で、母親が揃えてくれたというこまごまとした家具やキッチン用品などが、センス良く並んでいた。
晩秋に始まった美咲と翔太の交際は、一月末の試験期間まではいわゆる順調だった。
学校では、最初のうちこそ翔太のほうが恥ずかしがって、実験実習班のとき以外に教室で美咲に近づくことはなかったが、そのうち待ち合わせて一緒に登校し、授業も二人で席を並べて受けるようになり、二人の関係は自ずとクラスメートたちの知れるところとなった。
それまで美咲と一緒にいることが多かった直樹と雄太郎はすぐに気づいて、それとなく美咲と距離を置くようになった。また、荒武信二はなかなか気づかなかったが(いや、気づきたくなかったのだろう)、それまでのように、直樹たちとの学食ランチに美咲を誘おうとしたので、直樹が「気をきかせろよ」と言って教えてやった。
また女子たちは、実験班でどんどん親密になっていく二人を苦々しい思いで見ていた金橋杏里から、あることないこと聞かされたのか、地味ではあったがどちらかと言えばさわやかな好青年の印象があった翔太に対して、哀れみが混じった冷ややかな目を向けるようになった。それはまるで美咲の毒牙にかかったと言わんばかりな視線であった。
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