その六 三年生 冬

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その六 三年生 冬

美咲たち生物工学科では、三年生の終わりに四年から所属することになる研究室を選ぶ。事前希望届で三番希望まで提出するが、一部屋最多で七人という決まりがあるので、それを超えた研究室については抽選で二番目以降にまわされる。六つある研究室のうち四つはすでに学外でも著名な教授陣が率いる人気の部屋で、特にバイオテクノロジーを駆使して新素材を作っている柏木研と原田研は、ここ数年十人以上の希望を集めて必ず抽選となっていた。あとの二つの研究室はまだ若い准教授が主催するところであるが、こちらも医療分野や新しい研究分野に挑戦していることもあり、昨年あたりからじわじわと人気が出始めていた。 美咲はまだ進路について漠然としたイメージしか持っておらず、理工系では大学院の修士課程に進学してから一般企業に就職する者も多いので、ひとまずどこかの研究室でもう少し専門性を高めたいと考えていた。しかし、この研究室のこの教授の元でこんな研究をしたい、というような具体的なビジョンはまだなかった。 ただ、翔太と同じ研究室になるのは避けたかった。それも研究員などが大勢いる大きな研究室ならまだしも、准教授と数名の大学院生しかいない小さな研究室で一緒になるのには抵抗があった。あと、できたら相変わらず嫌味ったらしいあの金橋杏里とも一緒にはなりたくなかった。研究内容ではなく、人間関係で研究室を選ぶなんて、美咲自身も情けないとわかっていたが、そこはどうしても譲れなかった。           * 三年生の学年末試験の最終日である二月三日の朝、美咲は学科事務室に研究室希望届けを出しに行った。受付にいた学科助手の岩村文江は、用紙を受け取ると「あら、早いわね」と言い、専用の箱に入れた。 「まだみんな出してないんですか?」 「昨日出しに来た四人だけよ。まあ、明日の最終ガイダンスを聞いてから出す人がほとんどだから」 「もう出した人の名前、聞いてもいいですか?」 美咲は教えてくれないだろうと思いながら、ふと尋ねてみた。が、意外にも文江は箱の中に手を入れ、用紙を取り出した。 「浅村さんと須藤君、それと渡辺君と…岩城君ね」 美咲は翔太の名前を聞いてちょっとドキッとしたが、悟られないようにわざと落ちついた声を出した。 「へぇ。そうなんですね。須藤君とか意外です」 「どこの研究室かは言えないけど、彼は前から実験に興味を持っていて、すでにいろいろやっているからね」 「須藤君がですか?」 美咲は直樹にそんな一面があることを全く知らなかった。そういえば、直樹と研究について話をしたことなど一度もない。学校で会って、いつものメンバーと一緒に過ごし、たまに飲みに行って… 直樹が見た目ほどチャラ男でないことは美咲が一番よく知っている。二年生の夏頃までは、バンド系の音楽サークルにも入っていたようだが、文系学部と合同のサークル活動は、実験実習がびっしり組まれている理工系の学生にとって続けることは難しかった。多くの理工系学生と同様に、直樹もいつの間にかサークルはやめたようだ。 そもそも生物工学科を選ぶ学生は、美咲も例外ではなく、自分の興味と能力の適正を考えて、すでに大学の学科選択の段階で具体的に進路を選んできたものばかりである。直樹だってああ見えてそうなのであろう。すでに詳細に卒業研究のテーマを考えていたとしてもおかしくはない。 美咲はすでに希望届けを出したが、任意で参加できる翌日の研究室ガイダンスに参加することにした。教室に行くと、すでに希望を提出していた他の四人は参加していなかった。 大教室で簡単な説明を受けた後、全員でぞろぞろと並んで各研究室に入り、そこの講師やら助手やら、若手の研究員から研究内容などが説明された。部屋によっては研究内容よりも仲の良さが売りなのか、度々行われる親睦会と称する飲み会の年間スケジュールを示すところもあった。 すべての部屋を回り終えると、岩村文江が来て全員から希望届けの用紙を回収した。 「では、結果は成績発表の三月二十五日になります。皆さん、楽しみに」と、ニヤッと笑って戻っていった。 「直樹、来なかったな。もう提出したのかよぉ」 雄太郎が荒武信二に言っているのが聞こえた。雄太郎は直樹がもう提出したことを知らないようであった。
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