旭に伴す

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 陽が翳り始めたのは、この都に足を踏み入れたときからであったのか。  平家を()った義仲を、法皇も公卿(くぎょう)たちも諸手を挙げて迎え入れた。恩賞が行われ、義仲は左馬の頭、伊予守(いよのかみ)に任じられて朝日将軍の称号を賜った。  しかしすぐに、義仲は都の人々に嫌われ始めた。  義仲は戦をさせれば天下一品の男だったが、他のことにはまるで気が利かなかったのである。都で人が意思疎通を図るのに不可欠な儀礼や不文律のようなものも、山里で奔放に育った義仲は一切持ち合わせていなかった。  義仲は、相手の身分や立場に関わりなく思いを真っ直ぐに伝える。戦う力があれば何者であろうとそれを活かすために用いる。義仲の中では人と人は情と力によって結びつき、信頼は情誼の上に築かれる。四郎はそれを知っており、そんな主を何より誇りに思ってきた。  しかし、都では物事は異なっていた。直言は嫌われる。言葉とは真心でなく道具である。人と人との間にはまず定形と定位置があり、それらは作法を介さなければ繋がることは許されない。  都の人々は凛とした武者が現れたときには目を輝かせたものの、その武者の振る舞いが彼らの作法にそぐわないことを見て鼻白んだ。木曾の山猿だと嘲笑した。  そして悪いことに、義仲は都の人々が彼を表だって嫌う理由も十分に(こしら)えていた。  義仲はそれまで平家が取り仕切っていた都の治安管理を任されながら、それをし損じていた。  戦続きの世のことで近畿では飢饉が相次いでおり、都は既に荒れ果てていたが、義仲が各地で糾合(きゅうごう)して引き連れてきた大軍には食がなく、軍兵(ぐんびょう)は勝手に田の稲を刈ったり民家に押し入って食を徴収したりした。寄せ集めの将兵たちを管理して治安維持に当たらせるには政治的手腕が必要だが、義仲にはそういった才能は皆無だった。  とうとう法皇は義仲を呼び出し苦言を呈した。 「世の中はまるで治まっておらぬ。平氏がいなくなってしまって、不便で仕方がない」  法皇の言葉に、義仲は憤激した。  しかし同時にその心が深く傷ついていることも、四郎にはわかっていた。  四郎には、悲憤に沈む主を見ることは耐え難かった。第一、この先都でどれだけ足掻こうと、義仲が上手くやれるとは思えない。  そこで四郎は言った。 「我が君、我々には為すべき大事がありましょう。平氏を追討するのです。帝と三種の神器をお戻しすることは、法皇と万民の願いです」  主は兄弟の話によく耳を傾ける。このときも頷いた。  戦に行くといった義仲を、法皇は喜んで送り出した。剣を下賜(かし)され、朝日将軍は西へ発った。
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