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吉田さんは尚も続ける。
「こういうのは、はっきりしないと。ひなが可哀そう。こんなに泣いちゃって、酷いよ。付き合ってる人はいないって言ってたのに」
「……」
相川は、無言だ。
「やたらと二人で一緒にいてさ。おかしいじゃん。こんな地味で、ぱっとしない子。相川には似合わないよ」
吉田さんは明らかに馬鹿にした目で、私を一瞥する。
「こんな子となんて、どうかしてる」
ここまで言われて、黙っている私ではない。
バンッ!と大きな音が響く。
しかし、私が手を出すより早く、相川が両手で教卓を叩いていた。
教室が一気に静まり返る。
相川の整った顔には、何の表情も浮かんでいない。
ただ、とんでもなく冷たい目で、吉田さんを見下ろしている。誰かがひゅっと息を飲む、怯えたような音が聞こえた。
「黙れよ」
相川が言う。
誰も動けなかった。ショックを受けていた。だって相川は普段、物を叩いたり、人と争ったりしない、温厚な性格だから。
私も落ち着かない気分で、隣の相川を見上げた。
吉田さんほど攻撃的な言い方ではないにしろ、こういう質問は、実はよくある。陽気な相川と、大人しい私が一緒にいることを、変だとか、正しくないと言ってくる人たちは、以前から何人もいた。
その度に相川は明るく笑って、「自分と全然違う質の友達も、いいもんだよ」とかなんとか言って、適当にあしらってきた。それなのに。
何故だろう。だんだん不安になってくる。いつもと違うことが、起きるような気がした。
「ひ、酷くない!?私は、ただ、ひなの為に聞いただけなのにっ!」
吉田さんが哀れっぽい声を出す。大分わざとらしくて、白けた空気になった。
「青の悪口言っただろうが。ふざけんな。おれが誰といようと、関係ないだろ」
相川は、冷ややかな態度を崩さない。
「だって、こんなの変じゃんっ」
「もういい!」
宮野さんが、髪を振り乱して叫ぶ。涙がやっと止まったが、大きな瞳は充血し、目の周辺を縁どるように赤く腫れてしまっている。睫毛に塗ったマスカラが、涙で流れ落ち、黒い繊維の欠片が、所々、顔に張り付いていた。
「もういいよ。相川は、答える気が、ないみたいだし」
「ええ、でもさあ、」
吉田さんが、しつこく食い下がろうとする。
「いいの。それに、今日、朝礼じゃん。ホールに行ってないの、このクラスだけかも」
宮野さんが、涙の残る声で言った。
そうだ、朝礼だ。すっかり忘れてた。
膠着状態だった教室が、慌ただしく動き出す。時刻は朝礼開始の2分前。ここは3階。ホールまでは、1階まで階段を下り、渡り廊下を通り、正面玄関を横切らなければならない。果たして、間に合うのかどうか。
皆が急いで、教室から廊下に飛び出していく。
私も行こうとすると、そっと肩に手が置かれた。
相川の手だ。
「平気か?」
振り向くと、心配そうに揺らぐ相川の瞳が、私を見つめていた。困ったように眉尻の下がる、優しい表情には、慰めが滲む。さっきまでの冷たい態度とは、まるで違った。
これは、まずいのかもしれない。
広がった不安が、胸に重くのしかかってくる。しかし、動けない。私は魅入られたように、相川の瞳から視線を逸らせなくなっていた。
「こんな事になるなら、委員会の前に、傘を渡しておけば良かったな。ごめん」
相川が、労わるように謝った。
なぜ、相川が謝るの。
この騒ぎを起こしたのは、吉田さんたちなのに。
「あいつらに、何もされてない?」
相川が話すたびに、微かに吐息がかかって、私の皮膚がさざ波立つ。妙に、距離が近い。
肩に置かれていた相川の手が、ゆっくりと持ち上がり、私の頬に押し当てられた。優しい触れ方だ。私の頬の輪郭に沿って、相川の手の平がぴったりと吸い付くように合わさる。
決して自分のものではない、少し高めの体温が、触れた箇所からじんわりと伝わってきた。
私の全身に、激震が走った。
こんなの、まずいどころじゃない。耐えられない!
気がつけば、私は一歩、後ろに下がっていた。相川の手が、いとも簡単に離れる。
「青?」
「大丈夫、平気。無実も証明できたし。ほら、早くホールに行かなきゃ」
自分でも驚くくらい、余所余所しい声が出た。相川が唇をきゅっと引き結ぶ。ぎこちない雰囲気が漂う。
「おいっ、急げって!」
教卓の前に留まったままの私たちに、学級委員が苛立ち気味に怒鳴った。
「判ってる」
相川がすぐさま反応を返す。
私たちはお互いを見ることなく、急いで教室を出た。
騒ぎからしばらくが経ち。相川が吉田さんたちと和解して、教室に平穏が戻っても、私と相川だけは、ぎこちないままだった。お互いの距離を、完全に見失ってしまったのだ。気まずくて、次第に、一緒にいる時間が減っていく。
梅雨を過ぎ、中間テストを受け、夏休みが始まったころには、私は相川と、一言も話せなくなっていた。
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