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「やあ、デリウム。何をしているんだい?」
そう言って、シルクハットを被った私立探偵のような男は僕の横に並んで立った。
「窓を、見ている。」
ほう、と頷きながら、僕が見ている窓の方をその男は見上げた。
「あの、大きなホテルの窓かい?」
「あの、大きなホテルの窓だよ。」
シルクハットの男は僕がどの窓を見ているのかを見定めるために、目を細めた。
「で、デリウム。どうして大きなホテルの窓を見ているのだ?」
時々、僕はこうして、あの大きなホテルの窓を見る。特に14階より上の階を見ている。そこから上は部屋の大きさが違うのだ。ダブル以上になっている。だから少し広々としているし、お値段も少し高くなるんだ。
「窓にはカーテンがある。カーテンが開いたり、閉まったり。それって素敵なことのような気がするんだ。大きなホテルの窓のカーテンが開くこと、何か良いことが始まる予感。そして、閉じることは終わりかけたり、お休みの事。それは少し悲しいこと、寂しいこと。だから僕は時々それを欲して見上げに来るんだ。」
「デリウム。それは素敵なことだな。」
僕の言葉にそのシルクハットの男が同意を示して、タバコを一つ取り出した。マッチで火をつけて、紫煙を吸い込んで、ゆっくり味わった後に吐き出した。
「デリウム。そんな素敵なことを、どうしてわざわざしに来ないといけないのか、わかっているのか?」
その男は、口から離したタバコの火の先を見ながら、僕にそういった。皆目、そんなものは僕には分からない。だからここに来るんじゃないか。
「窓の向こうにはきっと色んな人が居るんだろう?僕は一回だけあの右の一番向こうの、19階に泊まったことがあるんだ。あの時は素敵だった。」
そう、僕はあの時、彼女と宿泊をした。クリスマスの夜で、もちろんディナーもした。それから、特別なケーキとお花を事前に用意して、ディナー中にわざわざ部屋に入れてもらった。部屋に帰ると彼女はとても喜んでくれて、僕は彼女のその顔が大好きだった。
「そうだな、デリウム。その時は素敵だったな。」
「だからさ、あの窓の向こうにはきっと素敵な1日があるんだろうよ。いや、それが閉じてしまうかもしれないが、それはそれで良いことがあった後のことさ。」
シルクハットの男は帽子の鍔を触り、今一度自分の頭にフィットさせた。
「デリウム。あの大きなホテルの窓には色んなことがあるんだな。」
そうさ、色んなことがあるさ。きっとね。
デリウムという男は、妻に逃げられた。特段悪い男ではなかったが、如何せん鈍いやつだった。だから、妻が色々と期待したが、それが伝わらない。期待はそのまま数値の絶対値のように不信へと変わった。それから二人の生活は苦しいことが多かった。また、悪いことにデリウムは非常に勘が悪い。だから、彼女の怒りが一過性であるといつも思い、それが積み重ねられていることに気づけなかった。そうして、二人の距離は離れていった。デリウムの妻は、不倫をしている最中であった。あの大きなホテルの一室でだ。私は彼女に言われ、このデリウムという男を連れてきてほしいと頼まれた。そうして、しっかりと分からせてほしいと。私は名も無い何でも屋でもある。デリウムにしっかりと彼女がホテルに入っていく姿を見せたのだが、彼はそれがなんのことか理解できないようだ。こうして数日同じことを繰り返している。いや、デリウムは本当は全てわかっているのだろう。
私は2本目のタバコを加えた。
「デリウム。別に、良いじゃないか。」
「…そうだな、君だってそう思うだろう?僕だってそう思っているつもりなんだけど。」
また、明日も頼まれるかもしれない。もう、家に帰ろう、デリウム。
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