グッドモーニング!ヤポネ!

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「グッドモーニング、ヤポネ! 今日も素敵な1日が朝日と一緒に始まりました。 清々しい空気と一緒にまずは一曲目をあなたにお届けします!」 窓の外からいつものラジオがブリーの寝床へ流れ込んできた。 ラジオはいつものように耳障りな声とその元気良さでブリーの心を起す。 毎朝の行事で、時間もいつだって同じだった。ブリーは窓際で背伸びをして、あくびを嚙み殺し、いつもの町並みを見た。 朝日は東の山から上っていて、赤々としている。 ヤポネの町並みはゴミだめのようなところで、あちらこちらにボロ布でできた雨よけと、乱雑に乗せられた積み木のように増築された家々があった。赤土まみれで全ての壁が茶色のように見えた。 匂いは年がら年中、生ゴミの匂いがしていて、ブリーは爽やかな朝など一度も体験をしたことがなかった。 ブリーと同じように窓際で、背を伸ばす向かいの屋根の上の猫に手を振り、ブリーはいつもの支度をして、街へ飛び出そうと思った。 「おはよう!ヤポネ!僕の大好きなクソみたいな街!」 ■■■■ 街へ出て、ブリーは北にある広場に向かって走り出した。 「おい!ブリー、おはよう!お前、金持ってないか?コーヒーでも買えよ!」 途中、いつもの角にある、コーヒー屋のボブたちがブリーに向かって叫んだ。ボブたちは6人の坊さんの格好をしたコーヒー屋で、毎日自分のマグカップにコーヒを淹れて、店の前で客引きをしている。湯気がボブたちの顔の前を立ち、刈り上げた頭が青くなってる。客引きをするぐらいなら、自分たちのマグカップは手放せとブリーはいつも毒づいていた。 「やだね!お前らみたいな奴らの淹れたコーヒーなんてのは信じられない。坊さんらしく、日がな経典でも読んでればいい!」 「うるさい!ブリー!コーヒーを飲んでから経典を読むんだよ。それぐらいも分からないから、お前はブリーなんだよ。」 「黙れ、昨日と同じ、袈裟を着やがって」 「お前だって、違わないじゃないか」 「は、お前らのは臭いんだよ!コーヒーにうつっちまえ!」 ブリーとボブたちは、街に溢れる喧騒を協奏するかのように、まるで奏でるようにその口から雑言を発した。この街、ヤポネではどこでもこんなやりとりが行われている。挨拶をまともにできる奴なんざ一人もいないかのように。 「さて、今日は、、水曜日か。」 ブリーは自分の体内時計を確認し、今日の曜日を思い出した。広場に行くにはいろんなルートがある。水曜日は黒い牛と牛飼いのチョウザが、広場への最短ルートを防いでいる。チョウザの側を通り抜けようとすると、通り道を牛に防がれ、買いたくもない牛乳瓶を買わされることになる。あんなでかいもので防ぐのは、反則だとブリーはいつも思っていた。 いつも通る道をやめて右の角の細道に入り、そこで寝ている猫を二、三匹踏みつけ、ゴミだめからでるネズミやゴキブリを蹴散らして、裏道を通り抜けた。広場の真上に近い脇道の上に出る。高さは3階建ての屋上といったところだ。 それでもブリーは迷わず飛び降りる。この脇道の両はしは家々になっているので、 たくさんの洗濯物とボロ布の雨よけがあるからだ。 ブリーは最初の洗濯物ほしのロープを右手で掴み、うまくしなりをつけて、すぐ側の別のロープに足裏を当てる、その反動で体の向きを変えてお尻を下にして、1枚目のボロ布をクッションに使い、その反動ですぐ下の2枚目のボロ布に右腹を当てる、そのまま次の洗濯ロープに左手を掴み、しっかりグリップして勢いを殺せば2階より低い高さになるのであとは落下するだけだ。 勢いよくブリーは下に着地して、そのまま広場へ走り抜けた。 ブリーが飛び降りた、脇道の空のは、まるで笑っているかのように、洗濯物もボロ布もあちこちと飛び跳ねていた。 「てめー!誰だ!私の下着を盗もうとしたやつは!」 「は!誰がお前の下着を盗りたがるんだよ。」 「おい、この布は張り直すの大変なんだ、やめてくれ!」 「うるせぇな。お前らのせいで、うちの子が起きたじゃねーか。誰が寝かしつけると思ってんだよ!」 「お、おおう、おおう。ロープが切れちまう」 両脇から、住人たちが顔を出して、声を荒立てて、騒いでいた。ブリーは背中でそれを聴きながら笑って走る。 空を見ると、一生青空の見えない白くてモヤのかかった空があった。 「今日はいい天気だな!」 にかっと笑うブリーは独りごちた。 ■■■■ ブリーはヤポネの中心地に近いところにある広場に着いた。 この広場は特に政治の象徴でも、マーケットの盛んな場所でもなく、大きな空き地になってしまっただけの場所だ。そこへいろんなモノたちが集まるせいで、たまたま広場になったみたいな場所であった。 北のほうは建物が崩壊しており、なだらかな坂になっている。 南のブリーが出てきた場所は積み木の家々が犇めき合い、高く高く上に上がっていった。 東と西には両サイドに出店と、浮浪者のような奴らがいるだけの道が永遠と続いていた。 ブリーはいつも座る台座に腰掛け、肩がけカバンから、スケッチブックと鉛筆と消しゴムを取り出した。目の前を通るいろんな奴らをスケッチしているのだ。ブリーは絵を描く。そして、それを売りつける。紙とペンがあれば、それで商売になるのでとてもいい。 「へい!お前!いい顔してるな!!ちょっと描いてやるよ!」 そういって、前を通りかかる奴ら全てに声をかける。何枚か無理やり売れば、その日は終わりだ。ブリーはそうして、毎日を過ごしていた。 笑顔のおじい。変な顔の子供。いつもぶっつりしてる髭ズラ、猫、犬、車。とにかく描いて、描いて、それを売る。鉛筆の濃淡と、繊細な線と、強調した特徴と。それらを紙の上に書き出してやる。おばさんを描くのとてもいい商売になる。美人にして、細くしてあげれば、喜んで買ってくれる。 「おい!ブリー、一枚描けよ。男前にな!」 サムライのケンが近づいてきた。 「お前のお金は使いにくいんだよ。ちょっと多めにくれよ。」 「だめだ、描いてからだな。男前になるかどうだ。それで払ってやらあ。」 舌打ちをしながら、ブリーは新しいページを開けた。とはいえ、ケンが気に入るものがどんなものかということは、ブリーには分かっていた。 ケンはバサバサの青い長い髪を垂らしているだけだが、その髪を後ろの少し上で束ね上げてやる。黒い流しの着物だけだが、それに袴を着せてやる。足を開いて正面に対して斜めにし、八相の構えにする。切っ先をわざと敵にむけるようにして、両手を少し上に上げてやる。そうだ、風でも吹かせてやればいい。今まさに敵対する相手とやりあった後のような絵にしてやった。それに少し目を切れ長にしてやる。いい感じだ。 「いいじゃねぇか!あごひげがねぇが、まあまあ男前だな!おい、やるよ!ほれ!」 そう言ってケンは懐から金を出し、ブリーの目の前にわざと落ちるように投げた。 ブリーは拾ってから、 「おい!全然多くねぇじゃねぇか!」 と拾って叫んだ。だが、その頃にはもう、随分と向こうまでケンは歩いていた。 ブリーもブリーで、思っていたより貰えたのに、それを口にすることはなかった。 「へへ。ケンのやつ、今日は彼女にでも会うんだな。随分と気前がいいぜ。やったぜ。」 ブリーがケンについて悪態を着くのは、この街の決まりようなものであった。お金に満足することなどない。今の状況に満足しているものなど誰一人いない。いや、欲望の通りに生きていかなければならないような世界だからであった。この街では、生きるためには、強烈に欲望を持っておくこと、それ以外必要などないからであった。 ■■■■ ケンのおかげで今日の稼ぎの目処がついたブリーは、このあとは日がな適当に流すようにその場にいようと思った。 しばらく居眠りをしていて、起きた時に、広場の反対側の壁の影になっているところに、白い馬に引かれた馬車とそれに乗る小ぎれいな格好をした王様がいることに気づいた。馬は赤い馬車をひき、赤い馬飾りがつけられていた。王様の王冠は小さくて本当に王様なのかは定かではない。緑色の衣服に、赤いパンツをはいた憂いた目をした王様であった。 「おーい、あんたら。見かけねぇな。何をやっているんだ。」 そうすると馬が大きな声を出した。 「ここは酷い町だね。こんなに異臭のする街には来たことがないね。それに、私たちを見かけたら、すぐに街の奴らが金目のものが無いか嗅ぎまわってこられたよ。私と王様はこの世界の旅をしているのだよ。」 そう聞くとブリーは堪らず大笑いした。 「旅だって?なんだいそりゃ。お伽の話でもしているのかね?そんなもので飯を食うことはできないだろう?」 「ああ、君の言う通りだよ。旅をしていてもお金は手に入らないね。それはそうと、王様は随分前から言葉を使えないのさ。もしかすると言葉を使えるようになるかもしれないと思い私は王様と旅に出ているのだよ。」 ブリーには全く理解のできない話であった。そんなことが何の役に立つのか。言葉が使えない奴らはこの街にも沢山いるが、全員何かをしている。もちろん、ブリーの言葉が通じない奴もいるわけで、それでもなんでもできるし、手を使ったりすれば相手と話ができるのだ。旅そもそもに意味が無いのに、その上言葉を使えるようになるために二人で出かけるなんてのは意味がなさすぎる。そんな単純なことも理解できななんて、王様というのはバカなのかもしれない。 「へえ、そりゃぁ、大変だね。そうだ!旅のついでに、俺が絵を描いてやるよ。お代は安くしてやるからさ。」 そう言って、ブリーは新しいページを捲り、いつものように絵を描いて売りつけることにした。ブリーには王様も馬もいいカモにしか見えていなかった。 「王様が自分の絵を見てみれば、何か変わるかもしれないし、いいと思うよ。」 ブリーは鉛筆で、軽く構図を書き上げながらそう言った。馬と王様が斜めに配置されるようにしてやった。これならば見栄えもいいし、王様だけでなく馬も喜ぶと思った。 「ほう。貴方は絵描きですか。王様も喜ぶかもしれませんしね。是非に描いて下さいな。」 馬はそういうと、お得意の「ヒヒーン」と鳴いて、こちらに近寄ってきた。馬はパッカ、パッカと蹄で地面を鳴らしながら、後ろの王様を何度か見ながら、彼の様子を気にかけていた。ブリーは変わらず太い線で馬の構図を形にあげていった。馬の顎はなるべくしてに下げてやり、彼がもともと持っている王様への敬意を表現した。それから、王様は外を見るようにした。世界を見て回ってきたのだ。彼の目線は前じゃ無いが、外の景色を見ていることがあっている気がした。 「私たちは色々と旅をしたせいで、随分と草臥れてしまっていますが、王様は大変高貴な姿でした。それに私も、今より随分と大きかったはずですよ。」 馬が描かれながら、少しだけ自分のことを誇張した。ブリーにはいい商材でしかない。そうですか、そうですかとにこやかに会話しながら、そういう風に大きくしてやって、王様の服も王冠ももう少し誇張をしてやった。 「今までの旅で、一番良かったところはどこなんだい?」 ブリーは手持ち無沙汰になっている馬に、敢えて話したそうな話題に水を向けてやった。「ヒヒーン」とまた鳴いて、鼻息を出しながらブリーに向けて馬は語り出した。 「そうですね、寒い地域で見たオーロラは素晴らしかったです。世界がこの幻想に包まれてしまうのでは無いかと思ったりしました。それから世界の穴に行きました。その穴の中に向けて水が流れ落ちていて、とても大きな滝になっていました。荘厳でしたね。ああ、あと思い出しましたよ。とても大きな湖で、波が無いせいで湖畔に映った空が鏡のようでした。私が一番感動したのは砂漠の星空でしたよ。星空って天空にあるような気がしていたんですけどね。自分の目線と同じところにも星があるんです。それは当たり前で天蓋が全て見えるようなところですからね。地面以外全てが星になった時に、私はあまりの広大さに体が震えましたよ。」 馬は恍惚の目になっていた。ブリーは「それはいいね」と思ってもいないことを常に相槌しながら、鉛筆を走らせた。旅の話も、景色の話も金にならない。いや、景色の話は誰かを騙すのには丁度いいかもしれないが。そう思いながら、絵を進めていたら、王様の表情で迷って手を止めた。だが、あまり考えても詮無いことだ。ほんの少しだけ顔を緩ませてやった。馬が喜ぶだろうと思ったのだ。 「お待たせ。できたよ。」 馬のこうべを垂らし、しかししっかりと地面を蹴り、体は今より一回りも大きくしてやった。白いたてがみが優雅に揺れていた。馬車今以上に装飾をしてやり、王様の衣服には威厳を取り戻させた。そうして、王冠の大きさも大きくしてやった。それから、腕をついて外を見る王様はほんの少しだけ笑顔を見せていた。 馬は絵を見ても何も言わなかった。何も。 「なんだよ、描いたんだから、お代はもらうからな。これでも結構ちゃんと描いたんだから。」 ブリーはあまりに声を出さないので、代金を守らなければならないと思い、そう息んだ。 「いえ、、、ありがとう。こんな感情に私が今一度戻れるとは思っていなくて。」 「なんだい、びっくりしたじゃないか。」 馬はほんのり、瞳を潤ませて、しかししっかりとした足取りで、ブリーの前に立った。それから深々とお辞儀のように、頭を下げて、しばらくしたのちに高々と自分の頭をあげたのだ。 「私の心にある誇りを取り戻させてくれた。あなたには心よりお礼申し上げる。」 先ほどまでは草臥れていたはずの馬の顔には、強さが戻っていた。そうして、ブリーの前に一袋の金貨を置いた。 「かつて、王は誰よりも智い子でありました。そうしてその瞳の通りあらゆる事に達観した視点をお持ちでした。私は、王様乗せた馬車を引くことが何よりも誇らしかったです。旅のものとなり、王への気遣いが私を奢らせたのかもしれません。私はかつての通り、元気そのものです。ですから、私は、その通りの存在なのです。私は王を引く馬です。」 そう高らかに声をあげて、馬と王様はその広場を後にした。ブリーはいただいた金貨の袋の重さに歓喜した。 ■■■■ 「おい!ブリーなんだ、そのニマニマした顔は。お金のない奴はこの店に来るな!」 そういって、ブリーの家の一階にあるバーの店主のニャックが怒った。ニャックは片手にブランデーを持ちながら、いつも賑わっている店を切り盛りしている。ブリーはだいたい、この賑わいに紛れて“ただ酒”を飲みにきているので、目ざとく見つけて、追い出そうとしたのだろう。 「おい、ニャック。いいのか?俺はそのカウボーイハットが飛んで驚く大金を持っているんだぞ。今日の俺は上客だ。」 そう叫んで、ブリーは自分の家に向かった。今日はお酒を飲むにしても、水でも混ぜてそうなニャックの店の酒は飲みたく無い。帰りしなにこっそり買ったブランデーを開けることにした。自分の家で戦利品でも見ながら舌を濡らしたいと思っていたからだ。 ブリーの寝床には街で見つけた麻袋を重ねて、良い感じのベットにしていた。そのほか街に落ちているもの、それから盗んだもので、部屋を満たしている。あまり高価なものがあると、すぐに盗まれるのだから、意味がないとブリーはいつも思っていた。ニャックも別に盗みに入るのが自分の家じゃなければ、何も言わないのだから。 ブリーは馬からもらった金貨の枚数を数えた。6枚の金貨であった。それがどれくらいの価値になるのかはブリーには解らない。だが、この街の誰もがわかるわけがないのだ。だから、適当な金額をふっかければ良いのだ。これは魔法のお金だろうとブリーは思った。一枚を手に取り、光にかざした。しっかりとした金貨だったため、持った時に重さを感じた。おもて面には戦の女神が横を向いていた。裏にはイキシアが三輪咲いていた。このイキシアはよく見ると、王様の王冠の絵柄と同じに思えた。 「なんだ、本当の王様だったのか。」 金貨を元に戻し、自分の寝床の枕の下に忍ばせて、ブリーは眠りについた。 ブリーが見たその日の夢は、馬が語ったであろう、世界の景色であった。 一陣の風がブリーの頬を抜けていった。 景色の絵はどこまでもあり、その向こう側はどうやっても見れないような限りのない広い世界そのものであった。 ブリーは砂漠の中にいた。 砂漠は夜を迎えた。 時間が自分たちの存在を忘れたように、早く回った。 天蓋の世界はくるくると回っていた。 天の川とおもわしき星々たちがゆるゆると東の空へから登り始めていた。 世界はブリーを捉えていた。 ブリーは砂漠の中で一人、夜空を掴んだ。 ■■■■ 「グッドモーニング、ヤポネ! 今日も素敵な1日が朝日と一緒に始まりました。 清々しい空気と一緒にまずは一曲目をあなたにお届けします!」 朝だ。 騒がしいいつものラジオが鳴り響いた。いつもより、空の空気が重い。今日は少し雨が降るかもしれない。あの王様と馬たちに出会ってから、数日が立っていた。 とはいえ、ブリーは生活の何もかもを変えたわけではなく、いつもの通り広場に行って、客になりそうな奴らを見つけては絵を描いていた。ただ一つ、ブリーは暇な時間ができたら、絵を描くようになったのだ。誰かに売るためのものではない絵を。 「よお!ブリー。何やってんだ。」 ケンだ。今日もいつもの通り、やさぐれたサムライだ。金も仕事もない。そんな感じだろうとブリーは思った。 「特になんでもないさ。絵を描いているんだ。」 「なんだ、そりゃ。金になるのか?」 「ならねーよ。これは、俺が描きたいから描いてるんだからさ。」 絵は、砂漠の夜空の絵だった。ブリーは砂漠を知らない。夜空の星々も知らない。だが、あの時の夢を描いているのだ。だから、多少の誤りがあることは否めないが。しかし、広大な天蓋が黒々と回っているのが見て取れた。 「この、砂漠の真ん中にいるポツンとしたやつは誰なんだい。」 「さあな。俺じゃないかな。」 「へえ、良いな。」 ブリーは驚いて、ケンを見た。何が良いんだと思った。これは俺の絵だ。誰かのための絵じゃない。 「別に、変じゃないぜ。ブリー。俺だって、人並みの感性は持ちわせているんだ。このヤポネじゃあ、欲望がなきゃいけないさ。だから、なんだか美しいなんて感情に何も意味がないというのは変わりがない。意味がないのはね。だけど、それを感じるのは、あることだろうさ。お前が感じたこと。俺が感じたこと。別に金になるわけじゃない。けども、あることを否定はできないのさ。あるんだから。」 そう言って、じゃあなとケンは去って行った。ブリーは、自分の絵を覗き込んだ。この絵は良い絵だってことだ。お腹のそこがくすぐったい感じであった。大きな声を出して、周りの奴らに教えたいような気もした。でもそれはやりたくないとも思った。ブリーは、噛み締めて、それからペンを走らせた。 ブリーは金貨を大事にしていたが、一枚だけ使うことにした。ヤポネの端にある雑貨屋に行って、絵の具を買いに行くためだ。あの絵には色味がある方がいい。いや、いつもの商売には不要だ。時間がかかるし、暑いし、待ってもらえない。ブリーの描く絵に少しだけ彩りをつけたいからだ。雑貨屋の親父は金貨の価値など解らないのだが、随分と喜んでくれて、絵の具に筆にパレットまでおまけでくれた。ブリーはそれを持って帰ることにした。 「お前、ちょっと待て。このビニールやるよ。」 雨が上から落ちてきた。ブリーは自分のスケッチブックと絵の具をビニールで包んだ。 「ありがとよ、親父。また、良い絵の具が入ったら教えろよ。」 「ふん、今日だけだじゃ。お前みたいなやつに機嫌が良いのは。」 雑貨屋は古くて、雨が降ればそこは壊れるんじゃないかと思えた。でっぷりとした親父は口ひげを蓄えて、二度とそこから動かないんじゃないかという風に、店舗に入っても一度も席を立ち上がらなかった。あんなカビ臭いところにいたら、自分がきのこになると、ブリーは思った。そうして、そのままその店を出て、今日は家に帰ることにした。 ■■■■ 「グッドモーニング、ヤポネ! 今日も素敵な1日が朝日と一緒に始まりました。 清々しい空気と一緒にまずは一曲目をあなたにお届けします!」 「にゃー、ヤポネの外れのすげえ向こうに馬車が朽ち落ちてたらしいぞ。」 ブリーが聞いたのはそんな噂だった。 向かいに住んでいる、猫が教えてくれた。猫も、自分の友達の犬から聞いたらしい。犬はネズミだったろうか、猿だったろうか。とにかく流れに流れてきた話だったようだ。ブリーはだからと言って、その辺に王様がいたとか、白い馬が朽ち落ちていた、などの話は聞かなかった。だから二人がどんな風になっているのかは、ブリーには分からなかった。ほっておいて良いのか、それとももっと心配をすべきなのか。ブリーには分からないでいた。ただ、それを聞いた時、自分の家の奥に隠した金貨の枚数があっているかどうかだけが気になった。 「よう。ブリー、どうだ。」 広場でいつものように、仕事の合間に絵の続きを描いてたら、後ろからケンに声を掛けられた。 一度、生返事をして、そのまま続きを描いていた。 「おお、良いな。この空に飛んでる馬車と白い馬が幻想的だな。」 「ああ」 「色もあるようでない、黒がメインの中の色彩が僅かにあって綺麗だと感じるぜ。」 「ああ。」 「お前、夢中だな。」 「そうだよ。なんか文句あるのか?」 「別にないさ。いや、もっというとお前が羨ましいよ。俺はサムライだけどさ、剣を抜くようなことは起こらない。だって、この剣、鞘の中でくっついてるんだ。笑えるぜ。サムライなのにな。お前は、夢中だ。良いじゃねえか。夢中になれるやつは、運と才能がある奴だけだ。何もない奴らは、俺らみたいな奴らは、夢中になることさえ無いんだよ。」 ケンは集中するブリーの背中を見つめた。 それを聞いても、ブリーの筆は止まらなかった。 昨日まで夜空にいなかった、馬と王様を描かなきゃならない。 馬はいつも以上に元気に飛び出してるんだ。 風が吹いて、たてがみを揺らして、王様を連れてくんだ。 それから、引っ張って、引っ張って、引っ張って。 それから、王様は話を喋れるようになったのだろか。 それから、そこは綺麗だろうか。 それから、お前の目は綺麗だろうか。 それから、王様は笑ってくれただろうか。 それから、それ以上の、世界に会えただろうか。 それから、それから、それから。 いつの間にか、 ケンはいなかった。 でもそこにおにぎりをおいてくれていた。 ケンが置いて行った、おにぎりはゴムでできてる。 「バカだな。俺みたいなブリキの人形に食べ物はいらないんだよ。」 そういって、ブリーはケンを探した。あの青い髪がまた来て欲しいと思った。 ブリーのお腹で、時計の針が動いた。 それから、もう一度、絵を描くために、ブリーはブリキの腕を動かした。 その腕はギシギシと音を立ていた。 ■■■■ 「グッドモーニング、ヤポネ! 今日も素敵な1日が朝日と一緒に始まりました。 清々しい空気と一緒にまずは一曲目をあなっ」 ブッ ラジオのモーニングコールは突然止められた。ラジオのスイッチを押した人間の手があったのだ。 ヤポネの街は静かな朝を迎えた。あの喧騒は聞こえない。 「やあ、おはよう。」 「やあ、おはよう。」 人間たちは眠たい目を擦り、起き出した。 「僕らはどれくらい寝ていたんだい?」 「さあ、詳しいことは調べなければ分からないけれど、今回は15年ほどじゃ無いかな。」 「じゃあ、すぐに、食べなきゃね。何かを口にしないと、動き出せないからね。」 長い眠りは人間たちの行動に緩慢さを生み出していた。ただ、あらゆるところで、人間社会は動き出して、活動を開始した。ヒトの時間が動き出したのだ。人間達は自分たちの活動を減らすためにわざと睡眠時間を増やしていた。全世界の人々は長い睡眠をして、活動を止めて、その間に地球の生態系を戻しながら、生きていかなければならなかった。そうして、誤って起きれなくなるといけないので、毎日同じ時間にラジオが流れていたのだ。 こうなれば、ブリー達は眠らざるを得ない。そう、おもちゃの国はいつだって、人が寝ていている時にだけに動くのが決まりだからだ。それは、随分昔からの、決まりごとだった。 「どうした?この荒れたゴミ置場に辟易でもしているのか?」 「いや、素敵な絵があるなと思って。」 「ほんとだな。」 人間はブリーの描いた絵を拾い上げた。 その絵の裏には「ボア・ノイチ」と書いていた。
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