二.長いアンケート

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二.長いアンケート

もう何年も、男は暗く広い部屋の床で延々と書き続けていた。それこそ、ヒゲを剃ることすら忘れて。たまに、唇と鼻の間に鉛筆を乗せて考えるふりをし、それからまた黙々と作業を続けた。 部屋の壁には、その幅の半分程もある巨大な紙のロールがトイレットペーパーのようにかけられており、男はそこから伸ばした紙の帯に書き続けているのだ。 最初に書き始めてから、男は鉛筆を使いに使っていた。だから、彼が今までに握ってきた鉛筆は、もう千本は軽く超えているであろう。また、専用の鉛筆削りも劣化により幾度となく取り替えてきた。そこかしこに短くなった鉛筆の残骸が落ちている。 男はラフな格好で作業をしていた。時折、思い出したかのように風呂に入ったり、食事を摂ったりしている。部屋には生活に必要なものは全て揃っており、自由に使えていた。それに、専門のスタッフがたまに来て、ある程度の身の回りの世話をしてくれるので、決して軟禁されていると言うわけではなかった。 男は昔、街を歩いている時に後ろから声をかけられた。振り向くと、黒いスーツに白いシャツが眩しい、目の細い男が居た。髪をしっかりとポマードで押さえつけているせいで、若いのに分け目が目立っていた。 「もし、お願いが……とても簡単なアンケートなのでお答え戴けないでしょうか?」 そのスーツの男は細い目をさらに細め、作り笑顔で語りかけて来た。 スーツの男が言うには、自分はスカウトマンで、多くの人の中から自分で選んだ人にアンケートの依頼をしているそうだ。そのアンケートに「ただ答えるだけ」で、一生かけても使い切れないほどのお金をもらえるのだと言う。そんな胡散臭い話はないので男は断ろうとしたが、最近は多くの人がアンケートに答えているらしいのだ。それを聞いた男は、ここ数日、自分の周囲だけでも職場の人間が何人も休んでいることを思い出した。 「本当に簡単なのですか?」 「ええ、もちろん。アンケートに答えていただくだけですから」 あたりを見回すと、同じようなスーツ姿のスカウトマンたちが勧誘していた。 「あちらも同じですか?」 「やっていることは同じですが、弊社とは違う会社です。弊社の方が、断然お得ですよ」 目の細いスカウトマンは、男が指差した方を見ずに答えた。 それから数十年、男は今の部屋でずーっとアンケートに答え続けている。そのアンケートは、まだ半分が終わったぐらいだそうだ。ロールもまだまだ残りがあるように見える。 アンケートの内容は、自分の人生の好み、癖や、嗜好性、それぞれの選択の理由のあれこれを、生まれた年齢から丁寧に質問される。(生まれた時などは、覚えてないわけだから適当に書くしかない) だから、次の年齢のアンケートの質問も、答えはほとんど同じになる。それはそうだ、好みや癖などすぐには変わらないのだから。 しかし、仕方がない。これが条件なのだから。 当然飽きもするが、 男はその都度、気合いを入れ直した。 この長い長いアンケートを終えれば、良いだけなのだから。
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