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朝からの猛暑のせいで、今夜は熱帯夜になっていた。
家路にて、地下鉄から地上に上がるとムアっとする。
また、ジワリと汗が滲むのを感じた。
腕時計で確かめると既に午後9時になっていた。
町のお店はちらほらとシャッターが閉まっていた。
煌々と光る深夜型のスーパーに滑り込む。
「まあ、今週も終わりだし、いっかお惣菜で」
私は自分の分と主人の分の遅めの夜ご飯を買って帰ることにした。冷えたビールが欲しいと思い、350ml缶も二つカゴに入れる。
クーラー聖地から出たら、家までの残り500mがすごく遠く感じた。
歩くたびに汗が吹き出る。背中を汗が滴るのが感じられた。「熱い」と口にするとそれだけで身体が沸騰しそうだ。すれ違う人から輻射熱の熱気を感じてしまう。風が吹いても一向に気持ち良くならない。
若い頃に行った台湾の夜のようだ。
「ただいま」
パンプスを脱いで、すぐさまスカートに手を入れてストッキングを脱いだ。膝を超えるころには締め付けが消えて開放感が脳内を駆け巡る。こんなものを履かなくてもいいように早くなりたい。
そのあとすぐに、着替えを抱えてシャワールームに向かった。
「おぅ。おかぇりぃ」
珍しく、主人の声がキッチンから聞こえた。
なにか飲み物を探しているのかもしれない。
主人は、このコロナ禍で自宅待機が増えた。
スウェット姿でうろうろするのにも見慣れてきた。ねずみ色のスウェットを着ているせいで大きめの齧歯類に思える。
なんだか、前より腹回りの肉も増えたと思う。
「まあ、私もなんだけど…」
自分の裸を見ながらそう呟く
「あっつい。ねぇ、どーなってるのよ、日本は!」
バスタオルを頭に巻いて、ハーフパンツとティーシャツでシャワールームから出ながら、主人に愚痴る。
「ほんとだなぁ…このままじゃ良くないな」
何がよ?と突っ込もうとしたら、まだキッチンに居た。
「え? 何やってんの?」
主人は背中を丸めたまま、グリルを覗き込んでいた。
「ほら、家の近くのスーパーでブリカマが売ってたんだよ」
「何それ、買うなら言ってよ。私、総菜買ってきちゃったよ」
「そうか、悪いな」
そう言いながらも、主人の目線がブリカマから離れることはなかった。手元にスマホを持ち、何かの調理ページでも見ているのだろう。
「まあ、いいか。明日のお弁当に使えばいいしね」
私は一人でつぶやきながら冷えたビールをテーブルに置いた。
すこしだけ悩んで、やはりコップも出すことにした。
箸を二膳と、炊けている米をよそった。
ちゃんと炊飯器が空になる量だった。
「先に開けててもいいよ、こっちはまだ時間がかかるみたいだから」
主人がこっちの支度の具合をみてそういった。
「いい、べつに待ってないし」
と私は今日のニュースをスマホで流し見しながら、ブリカマを待った。
「そうか」
そうして、また丸まっている主人が目の端で見える。
「ねぇ、そういえば、動物園行かない?」
唐突に、私はまるで思いついたように言った。
「ああ、いいよ。別に」
と、思っていた通りの反応がある。興味がないのだろう。
「なんで、なんで? って聞かないのよ。気にならないの?」
と、言ってみると
「なんでが重要じゃないときもあるだろう。お、できた」
と声のトーンを上げも下げもせずに答えた。
「食べてほぐれたところにも塩をかけてくれ」
テーブルに南の極みを置いて主人が言う
「うわ。美味しそう。いただきます」
私の箸がブリカマに刺さるのを確認してから主人はビールを二人分注いだ。
「うーまぁーー」
私が動物園に誘ったのは、嘘だ。
ただ、なんとなくそういう所に行きたくなっただけだ。
本当に行くのはごめんだ。
ただ、なんとなく。
お出迎えもしてくれない主人なんか、たいしたことないペットだよ。
昔、家で飼っていた犬のほうが可愛い。
しっぽがあるからね。
太った腹回りじゃ、癒されない。
ビールの泡が躍っている。
金色が汗をかいていた。
主人がおいしそうに喉を鳴らす。
こんど、縞々のスウェットを買ってあげよう。
たぶん、動物園に行くことよりも。
たぶん、
この家に必要なものだから。
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