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古くより筑紫島に隈の名を関する地数有り、其所の多くは阿蘇国と呼ぶ処である。
大王の名は草部男王といい、蜀の陳寿により狗奴国の卑弥弓呼と記され覡として能く民を治めていた。
また彼の女官には久々知彦がおり、草部男王に代わって軍や政を司った。
彼の一族は、嘗て肥後北部に広く在った茂賀の浦を治めている。
そこは筑紫島にて最も瑞穂なる国と云われ、黄金色の稲穂を稔らす葦原は遠く海に臨み、彼方此方に花紅葉して春夏秋冬を通じて風雅あり。また魚、鳥、美酒が多く人々の心と口唇楽しませるまほろばである。
この豊かなる土地から産する穀物及び財物は山海の珍味と並んで豊かであるが故、北に或る女王国らが絶えず攻め寄せた。
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