プロローグ 

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プロローグ 

 私は冷めた目で獲物を見ていた。  獲物は、ベッドの上に身体を不自然に()じった格好で横たわっていた。その目にいっぱいの涙を溜め、必死に命乞いの言葉を口にしている。  しかしその台詞は、私の耳にまで届いてこない。猿ぐつわで唇の動きを封じられているためだ。 「おー、おえあい、いおいあえああうええ……」  実際に聞こえるのは、低くくぐもったこんな音声である。  それでも私には、獲物が何をいっているのか、はっきりと理解できた。 (お、お願い。命だけは助けて。なんでもいうことをきくから)  私は、携行缶の中のガソリンを獲物の全身に万遍なくふりかけた。  彼女はこれから何が起こるか理解したのだろう。必死に全身をばたつかせ、束縛から逃れようとますます不自然に身体を捩じっていく。  どんなに逃げたくても、後ろ手に縛られているため、どうしようもないのだ。    そのさまは哀れで滑稽だった。    獲物となる以前の、美しく、高飛車で、つんとすまし、自信に満ち溢れた姿はどこにもない。  人間などというものは、どれほど高貴に生まれつき、権力や財産、才能を有していようとも、一皮めくれば、みじめで卑小な芋虫のような存在にすぎないのだ。  私は携行缶から少量のガソリンを、ベッドから床へとたらし、さらに部屋の出入口ドアのほうへと導火線のように細い線をひいていく。ドア口に立ち、手にしたロウソクにライターで火をつけた。  その瞬間、彼女の恐怖は最高潮に達したようで、ますます身体をばたつかせる。
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