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02 巨大ひかり
「遅いっ」
札幌市の中央区。観光客の絶えない大通公園の南側道路。諸星ハヤトは、違法停車したトヨタタンドラのサイドシートに肩をうずめ、いらだっていた。行ったきり5分も戻ってこない後輩に。
息抜きは必要っスという、後輩の言葉にかどわかされ、うなずきはしたものの、大通りまで足を延ばすとは思いもしなかった。チーフから命ぜられたのは隕石集中地帯周辺。それは豊平区の元区役所あたりで、ここから20分も離れている。
速攻で持ち場に戻るべきだ。真面目な性格の、心の奥底がそう告げてくる。諸星の鼓動がますます速まってくる。
件の後輩巨大七光は車を、3車線うち公園寄りのレーンに寄せるなり、すぐに戻ると言い残し、脱兎と消えた。スターターを押したがエンジンがかからない。スマートキーはヤツのポケット。スマホに電話をかけでも出ない。ショートメッセージにも応えはない。
目立つ車だ。この逆輸入ピックアップトラックは、米国ビッグスリーを真向勝負するためだけに作られたような仕様。新モデルはややボディをコンパクトにしてあるが、エンジンは省エネ無視の3.5リッターV型6気筒ツインターボエンジン、最高出力389馬力を誇る。さらにフリート用の改造も施されていた。
これだけもじゅうぶんに人目をひく。なのにボンネット上にはサイレン。とどめはボディペイント。対人外生物異物対処班のロゴだ。
隕石騒ぎも16年、日本の落下も二度目となれば、日常の意識に組み込まれもする。とはいえ、フリートは国で唯一の隕石対抗組織。物好きが作ったファンサイトもある。いまの日本でこれほどバズる公共組織は見当たらない。数人が気づいて、スマホをむけている。
「騒ぎが大きくなって、警察が駆け付け、職質でもされたら……絶対に警察から報告がいくぞ。そしたらさぼりがバレる。相崎チーフ怒るよなあ。そのうえ、違法駐車だし、違反切符を切られでもしたら。減給? 訓告? ああ。まさか解雇ってことは……」
嫌な想像はとめどなく、どこまでも、広がっていく。マイナス思考も頂点に達した。者星の脳内で『|対処班《フリート隊員勤務中の職務怠慢』と顔写真つきで紙面掲載されたとき、ようやく、気合の抜けた声が公園の街路樹の間からやってきた。
「せーんぱーいっ!」
黒髪。ショートヘア。延びるのが早い後ろのひと房だけは三つ編み。瞳は漆黒。瞳孔は藍。やや吊り目。標準的に太めの眉は、おもしろがってるようによく動く。そして胸が大きい。制服で抑えていてもよく揺れる。
巨大七光。
書類のプロフィールによれば身長149センチ。小さいが健康そのものといった19歳。風にサラりと黒髪をなびかせた愛くるしい笑顔に、男でなくとも十人が10人振り向く。そんな美少女であった。
口さえ開かなければ。
「聞いてくださいよ。くそっすよ! くそっす。どーこがカリスマ美青年販売員ッスか。修正アプリ活用で元顔ゼロっすよゼロ。イケメン度90までは望んでなかったスよ。けどせめて80%くらいはいって欲しかったス。思わず逮捕するとこだったスよ。時間損したっす。くそっス。くそ。はいソフトクリームっ!」
くそを連発しながら渡してくるソフトクリーム。スマホを構えた男たちはドン引きだ。諸星ハヤトはしかめ面するしかない。とりあえず、抹茶かあ苦手なんだと、差し出されたほうをしぶしぶ受けった。
「レギュラー300円っす」
わりと大きな手のひらを、ハイっと広げる小さな巨大。
「お、おごりじゃないのか」
「財布のうっすい後輩にたかるきっすか。こっちがおごってもらいたいっすよ」
「じゃそっちをよこせ。長沼アイスランドだろ。オーソドックスなバニラが好きなんだ」
「抹茶いってください。大通り限定っすよ」
「巨大がいけよ」
「抹茶スキだけど、ソフトクリームはダメっス」
「じゃなんで買ってきたんだ!」
「同じだったら付き合ってるみたいじゃないスか。イケメン度50Pしかない先輩とあたしが? まあ~さぁかあ~」
「……お 前 な ぁ」
握り拳に力がこもる。抹茶ソフトのコーンが潰れてこぼれ落ちた半分が膝と足をどろりと汚した。男たちはいなくなっていた。
「うっああバッチぃ~」
「1日に1回はぶん殴りたくなるヤツだよな………戻るぞ。急げ」
「とっとと拭いてくださいよ。あたしの車が台無しッす」
「お前のじゃない」
巨大はスターターボタンをプッシュした。3.5リッターの心地よい唸りが、身体の芯をふるわしてくる。小柄な巨大でも運転できるよう改造されたピックアップは、大通り南の車線に走り出した。
とたん、信号が赤に変わった。急停車。残った抹茶ソフトにしかたなくかぶりついた者星のその鼻に、半溶けのライトグリーンの残りがペダりとついた。
「ぶああああッ! 運転くらい大人しくできないのか」
「急げっていったのは、者星せんぱいっすよ。もちろん信号も守るっス」
「訂正だ! 1日3回に訂正する!」
そのとき、ダッシュボードのアラームが鳴った。ロードマップ画面だった14インチモニターに小窓が表示され、3分の1が男の顔となった。フリートのチーフ相崎善行だった。
『者星、巨大、どこで油うってーーなんだ?』
「なんだと言われても……あ。」
車内をモニターするカメラに、抹茶ソフトがくっついている。
『なにが、おこってるんだ。応答しろ!』
者星は慌ててそれを拭き取った。
「あ、チーフぅ。聞いてくださいよー。イケメンタウンマップ、嘘っぱちなんすよー」
『タウンマップ? ………………いやいい。察しがついた』
頭を抱えるチーフが画面の中に、いた。者星にも手に取るようにわかる。唯一の、初めての新隊員がなんでこいつなのだと、もう百回を超えている嘆きを反芻してるのだ。者星をみつめる目が語ってくる。そいつと組ませて。相棒にして申し訳なかったと。
「巨大七光。休憩終了につき所定の地域に戻るッス」
『あーーーーいい。戻らなくていい』
「えええ? まさか…………まさか東京栄転っスか?」
『……どこからそんな楽天発想がでてくる。行き先が変更だ。北区篠路へ行け』
「? 篠路に? 理由は」
ソフトクリームを拭き取った者星が聞き返す。べとついた頬を気持ち悪そうになでて。
『隕石生物だ。隕石集中地帯外に落ちたんだ。未確認だが、寄せられた情報によると。ユーテネスの公算が高い』
「ゆ……」
16年ほど前から地球上に落下する衝突衝撃が小さな隕石。それが軽量隕石だ。軽量とあるが、サイズは、電子レンジ大(30センチ)から2階家大(9メートル)もあるのだ。軽くはないし、小さなものではない。
なぜ”軽量”なのか。
隕石の大きさに対して大地に衝突する衝撃が、通常隕石の1万分の1しかないからだ。一般に、隕石の脅威はサイズに比例する。たとえば車サイズの隕石なら、大気圏で燃え尽きてしまい害厄はない。住宅サイズともなれば、被害は核爆弾レベルにも。
軽量隕石だけがそうなる理由は解明されていない。90%は隕石集中地帯に落ちてくる。
軽量隕石には種類がある。
1つ目は、ほとんどが資源として役立つ恩恵隕石。2つ目は、たまに落ちる、異能をもった小さな生き物未確認生物。どちらも国際的な価値をもち、国の監視下におかれると法で定められている。
3つ目。稀にではあるが、害厄そのものの隕石生物がある。
ときに毒を吐き、ときに暴れまわって街を破壊し、ときに人に危害を加える。隕石生物は命をもつ。だが他の動物や未確認生物のように人に懐くことはない。人間には手なずけられない、コミュニケーション不可能な生物。
対人外生物異物対処班は、メテオクリーチャー対策のために生まれた組織である。今度の隕石騒ぎでも2体を処分。活動停止にさせ、北大の特設研究施設に送っていた。
ユーテネスはその上を行く。巨大異星人は、3メートルを越える大きな人型生物を定義したものだ。隕石が、史上ありえない落下を繰り返してることから、敵対生命体の可能性として示唆される。
人類の敵。宇宙からの侵略者。メテオクリーチャーをより危険にした害厄。しかし出現したことは、これまで、いちどしかなかったのだ。それは銃弾一発で処分されている。
『残念だが、そんなものじゃなさそうだ』
穏やかな真夏。暖かな空気が零下になった気がした。
者星は表情を険しくする。
「了解!」「了解っス」
者星は最後の、冷たいソフトを口に放り込んだ。頭に冷えた痛みがキーンと走った。弛緩を引き絞るにはちょうどいい。新幹線ホームが混雑する道路の先にあった。まだ見えないが、その向こう、晴れた空の下では、外敵が暴れているのだ。
巨大の左手がサイレンをオンにした。緊急車両となったピックアップが、創成川通りを北へ、速度を上げていった。
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