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「どうやらお前は古事記派のようだな。今も古事記読んでいるし」
突然の出来事に固まる僕のことなど気にもせず、机の上に持っていた三冊の本を置き、斜め向かいに座る。
「……ええっと、山田さん?」
「いつもそんなふうに読んでいないくせに……」
持ってきた本を一冊広げ、本に目を落としたままつぶやく。
「別に姫子でも、卑弥呼さんでもよい。私も勝手に好きなように呼ぶから」
「好きなように呼ぶ?」
「お前のことに決まってる! そうだな……」
卑弥呼さんが視線をいろいろな場所に移す。僕の開いている古事記の挿絵に視線が移った時、卑弥呼さんの眼鏡の奥が光った気がした。
ちょうどスサノオがヤマタノオロチに酒を飲ませて、やっつけるシーンの挿絵だ。
「スサノオなんてどうだ?」
目の奥は笑っていないが、見方によっては卑弥呼さんが喜んでいるようにも思える。
「スサノオ?」
「お前の呼び方だ。ほら、ヤマタノオロチを倒したら、尻尾から草薙剣が出てくるだろ。草薙だし、ちょうどいい?」
何をもってちょうどなのか、全く理解できない。人前でスサノオと呼ばれるところを想像してみたが、これはなしだ! とりあえず、全力で否定してみる。
「いやいや、スサノオはきついって! 別に普通に『草薙くん』じゃあ、駄目なの?」
「お前だって『卑弥呼さん』って呼んでいるだろ? お前だけとうのはずるいと思わんか?」
だから、さっき山田さんって言ったじゃないかと思ったが、逆らっても話がかみ合わないままだろう。誰かに助けてほしいいけど、こんな時にかぎってまわりに誰もいない。
「とにかくスサノオはやめようよ。人前で呼ぶのも、呼ばれるのも恥ずかしすぎるって」
「……私は渋谷の真ん中でも、大声で呼べるがな!」
なぜか勝ち誇った顔をしている。
何か急に嵐に巻き込まれた感じだ。聞いていた以上にこの子、話がかみ合わないし、めんどうだぞ。
「と、とにかくスサノオはやめようよ」
「そう? 三貴神の一人だぞ……まったく、わがままなやつだな。それじゃあ、そうだな……『ヤマトタケル』はどう?」
「ヤマトタケル?」
思わず聞き返してしまう。これ、きっと名前の猛から来てるぞ。
「お前の名前、確か猛だっただろ?」
ほら、やっぱり。安易なネーミングセンスだが、勝ち誇った顔をしている卑弥呼さんを見たら、それ以上ツッコめない。
「さすがに毎回、ヤマトタケルは言いにくいから、『ヤマタケ』にしような。よし! 決めたお前は今日から『ヤマタケ』だ」
「……いや、草薙猛の原型ないし」
「じゃあ、スサノオにするか?」
「……ヤマタケでいい」
これ以上、押し問答するのは時間の無駄な気がするので、渋々、「ヤマタケ」を受け入れる。それに納得したのか、卑弥呼さんはそのまま、読書を再開する。
いや、待て待て。何で普通に、卑弥呼さんが同じテーブルに座っているんだ。
「……あの、山田さん?」
「別に卑弥呼さんでいいぞ」
「……あの、卑弥呼さん?」
「何だ? ヤマタケ」
何だこの会話。
「えっと、僕に何か用なの?」
「ううん、別に特に用なんかない」
「じゃあ、何でここに座っているの?」
そうだ、僕はレポート作成をしなきゃいけないんだ。思いっきり迷惑そうな顔をしてみるけど、卑弥呼さんには伝わらない。
逆にメガネをくいっと、人差し指で上げて、悪そうな顔をする。
「用がないと、ここに座ってはいけないのか?」
「……そんなことないけど。あの、他にも席はいっぱい空いているよ」
「私がここに座りたいから座っている。それとも、何か不都合あるのか? ここって確か学校のものだな? お前のものじゃないし、私はただここで本を読んでいるだけ。公共の福祉に反していない限り、私の自由は尊重されると思うけど?」
ああ、めんどくさい。下手に相手をしようとした僕が馬鹿だった。卑弥呼さんは自然現象と考えよう。地震や台風に対して、僕らはただ、それを受けいるしかない。
僕は目の前の暴風雨のような卑弥呼さんのことは、見えないふりをして、レポートを続ける。僕がその席に座ることを受け入れたからか、卑弥呼さんは納得したように、黙って本を読んでいる。
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