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しばらくすると、レポートに対する集中力がきれてしまい、何となく目の前の卑弥呼さん見る。黙っていたら、黙っていたで何となく恐ろしい。
卑弥呼さんの観察を続ける。
腰まで伸びている割には、髪の毛はそんなに傷んでいない。どちらかといえばつやのある髪だ。目が実際よりかなり小さくなっているので、かなり度のきつい眼鏡なのだろう。
いったい何の本を読んで……「風姿花伝」⁉ 世阿弥!
歴史の授業以外で初めて見た! しかも、文語版。ちなみに、卑弥呼さんの前に置いてある、残り二冊は「東方見聞録」「誰でもできる風船ダイエット」
いやいやいや、今時、風船ダイエットって! それに「東方見聞録」はイタリア語だし。
駄目だ、きっとツッコんだら負ける。これが卑弥呼さんの壮大なキャラ設定であることを信じよう。きっと家では普通の女の子なんだと信じよう。
「ねえ、ヤマタケ。古事記の中にたくさんの暗喩が込められているって知ってるか?」
突然、本をパタンと閉じて、卑弥呼さんが聞いてきた。
「えっ? ヤマタノオロチが川の氾濫だとかいうやつ? たたら製鉄だという説もあるよね」
中学の歴史教師からこの話を聞いたときは感動したものだ。僕がさらっと話すので、卑弥呼さんは少しむすっとした顔する。しまった! 知らないふりをすればよかった?
「なかなかやるな、ヤマタケ! それでこそ我がライバル」
おいおい、あんたそんなキャラじゃないだろ。覚えておこう、下手に卑弥呼さんに対抗すると、かえって油に火を注ぐことになる。
「それじゃあ、卑弥呼と天照大神が同一人物だという説は?」
おっ、なんだそれ。
「いや、知らない」
僕の反応を見て、急に得意げになる卑弥呼さん。
「卑弥呼と天照大神には共通点がたくさんあるでしょ。卑弥呼は別の表し方をすると日の巫女、天照大神も太陽神。二人とも弟がいるし、畿内説を取ると、邪馬台国がのちのヤマト王権につながる。古事記の天照大神が女性というのもうなずける」
卑弥呼さんが自分のターンとばかりに、まくしたてる。確かにおもしろい、興味深い説だが、じっくりと考えさせてもらえる隙も無い。
しばらく、卑弥呼さんの古事記に関するうんちくを聞き続ける。本当に好きなんだな、古事記。一通り、話し終えたと見える卑弥呼さんが最後に付け加える。
「……というわけで、これからも神話や歴史に関する類は、私が教えてあげる。そのかわり、数学や物理は私の範囲外、ヤマタケが私に教えること、いいな? 私自身はあまり必要性を感じないが、高校を卒業するには数学や物理も必要なのでな」
それ以来、事あるごとに卑弥呼さんに捕まって、メディアセンターで数学やら物理やらを教えることがあった。かと言って、普段の教室で卑弥呼さんとしゃべることはない。
何の縛りかは知らないが、教室で卑弥呼さんと話した記憶がない。たいてい、今日のように廊下で声をかけてきて、後はメディアセンターでということがほとんどだ。
卑弥呼さんに数学を教えていて、分かったことがある。卑弥呼さんは決して理解力が低いわけではない。そもそもうちの学校に入る時点で、学力的にはそれなりのもののはずだ。
ただ卑弥呼さんはいちいち問題に書いてあることを、深読みしてしまったり、そこに哲学的な問いを見出してしまう。
例えば冒頭の点Pが動く問題だと、なぜそもそも点Pは動くのか、そこにどんな目的があるのか、点という極小の単位が人間に認識できるのかなどが、気になってしまうのだ。だから、卑弥呼さんにものを教えるときはそのあたりの部分から解きほぐさなければならない。
今日もずいぶんと時間をかけて、そのあたりを理解してもらえた。ここまでくると、あとは占めたものだ。
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