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君が泣いていた。私だけは君を理解してあげられると思っていた。
恋も青春も可愛い子の特権で、そんな毎日に鬱屈していた。教室に居場所のない私たちにとって屋上は聖域だった。
あの日の詳しいことはもう覚えていない。確か、クラスのグループチャットにどちらかの悪口が書かれたような気がする。内容はもう忘れたけれど、メグの涙だけは覚えている。
「汚いものなんてもう見たくない」
私より少し大人に見えたメグが教えてくれたおまじない。二人で手を繋いで高い所に上る。そして、目をつぶって『闇夜の唄』を歌い続ければ、いつか「音だけの世界」に行けるらしい。メグはその儀式の相方に私を選んだ。二人だけの秘密の儀式。
「秋ちゃん、いつか一緒に音だけの世界に行こう」
「うん、約束」
瞼を閉じて、指を絡める。外見至上主義と偽りのキラメキに反吐が出そうになる世界を遮断する。あの頃やたらと鮮明に聞こえたメグの綺麗な声だけがこの世の全てだった。
そうだったはずなのに、私はメグを手放した。高校に進学して、流行りのお化粧を覚えた。高校デビューで平凡な一般人に擬態した私は、ありきたりな恋をした。
屋上には行かなくなった。好きになった先輩を追いかけて、先輩ばかり見ていた。メグとはあまり話さなくなった。
「明日、久しぶりに儀式をしようよ」
ある日、メグに誘われた。先輩にようやくデートの約束を取り付けた日だった。でも、言いたくなかった。理由は言わず、「ごめん」とだけ返した。私はもう音だけの世界には行けなくたっていい。
先輩とのデートの途中、偶然街中でメグと出くわした。ゴシックロリータの格好をしたメグに話しかけられた。
「秋ちゃん」
その声があまりにも子供っぽくて。あの日かっこいいと思った大人なメグはどこにもいなくて。
「友達?」
少し引いている先輩の顔と、メグの顔を見比べた。二つの世界を天秤にかける。私は、「そっち側」には戻りたくない。
「違います。行きましょう」
私は先輩の手を引いて、その場を離れた。私を呼ぶ声は聞こえない。傷ついた顔なんて見えない。そう言い聞かせて歩き出して、ほんの少しだけ振り返った。
君が泣いていた。私が踏みにじってぐちゃぐちゃにした。
あの日からメグを無視し続けたまま卒業して、東京の大学に進学した。心の中の黒いものに蓋をして、頭空っぽの量産型女子大生の出来上がり。
昔手に入れられなかったそれっぽい青春。今の人生に不満なんてないはずなのに、上辺だけの友達と「そろそろ就活だね、憂鬱だよね」なんて語り合いながらお酒を飲んで頭がふわふわになるたびに、屋上で歌った日々を思い出す。
二日酔いの頭で、ぼんやりしたままSNSを開く。そういえば、メグは今頃どうしているんだろう。頭の片隅にあった彼女のIDの文字列を検索窓に打ち込むと、あの頃と変わらない綺麗な髪の後ろ姿をぼかしたアイコンが目に入る。
地元の短大を卒業した後、メグも上京したらしい。彼女の言葉遣いも、好きなものも何一つ変わっていなくて、どこか安心した。私が好きになった綺麗なあの子のままだった。
メグだけが、私の本当の友達だった。どうして、あの時メグを選べなかったんだろう。どんなに後悔したって戻れないと分かりながら、ここ一年の呟きを遡る。「辛い」とかそういう言葉がなかったことだけが救いだった。幸せでいてくれてよかったと、罪悪感を抱くのを恐れる卑怯な私は思う。
私を恨んだら、その感情でメグが穢れてしまうから。なんて正当化する。こんな最低な私のことなんて忘れてください。
ずっと呟きを遡り続けると、都市伝説絡みのハッシュタグに二年前に言及していることに気づいた。
「『闇夜の唄』って聞いたことある人いますか?近所だけのローカルネタですかね?」
それが何かと問いかけるフォロワーに対してメグは「内緒です」と返していた。
彼女はまだ二人だけの秘密を大事にしてくれているんだろうか?と自惚れてしまう。最低な私はメグにダイレクトメッセージを送った。
「あの時はごめんなさい。許してくれるとは思っていないけれど、明日、桜ビルの屋上で待ってます」
返事は来なかった。でも、私は翌日朝からずっと桜ビルの屋上で待ち続けた。夕方の風が冷たくなる時間、フェンスに手をかける。学校の屋上よりも高い場所。でも、フェンスに登ればもっと高い。
雑踏を見下ろす。メグを裏切って選んだ笑顔で舗装された道は偽りの楽園へと繋がっていた。でも、メッキが剝がれてここは私の居場所じゃないと気づいてしまった。もしも時間が戻るなら、音のない世界への道を選ぶのに。このまま飛び降りたい衝動にかられた時、後ろでドアが開いた。
懐かしい声がした。
「秋ちゃん……」
君が泣いていた。今度こそ二度と傷つけないと誓った。
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