ハレの日

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 思い立ったら吉日、ネット通販サイトで調べたところ、ウエディングドレスは五千円くらいから難なく購入できることを知った。 ――後は家族皆で写真でも撮ればいいだろう。 その程度のことだと軽く考えていたものの、当人である俺たち夫婦の思いもよらない形でそれは実現した。 「誰がこんな本格的な挙式をするなんて、言ったんだよ……?」 式場を押さえ、参列者は新倉家も泉家も親族一同の顔ぶれだ。末席は従妹の子供までがいる。 「勿論、儂に決まっている」 招待状の差出人は、モーニングに身を包んだ俺の親父だ。 今更の挙式だというのに、やるからには盛大にやると言って聞かなかったのも、この親父殿だ。 ご丁寧なことに、俺と透子宛てにもわざわざ令状のように案内状を送り付けて来た。 「散々に待っていただいたんだ。それなりのことをさせていただかないことには申し訳が立たないだろうが」 親父が居を正して見遣った相手は、透子の父親だった。 「そうそう、直人君がいつまで経っても挙げてくれないから業を煮やしてね。お父さんの方に催促したんだよ」 控えめな義父らしからぬ台詞ではあったが、茶目っ気のある笑みを顔に乗せている。 「愚息がいつまでも愚鈍で申し訳ない」 常備の厳めしい顔のまま、親父は俺よりも先に頭を下げた。 「父の言う通りです。不徳で申し訳――」 「やだな。冗談だよ、まったくの冗談!さぁ、お父さんもそんな畏まらないで顔を上げてください」 親父に倣おうとした俺を慌てて止めて、義父は穏やかなその目を細めた。 「娘が幸せな結婚生活を送っているのだと、みんなに知って貰えて私は鼻が高い。こうして改めて迎える結婚式というのも良いものだ。お父さんも、直人君も、本当にありがとう」 謝意の尽くした一礼に、俺と父も慌てて倣った。 「くすくす、燕が三羽顔を突き合わせているみたい」 フロックコートの裾を指して、娘の綾香が笑みを口に含んで笑う。 娘が袖を通しているのは、かつて透子がピアノ発表会で着ていたというワンピースドレス。 我が家の小さなお姫様は、空色のスカートを翻して、舞い遊ぶ蝶のようにご機嫌だった。 「ったく、お前はいいよな、終始気楽でさ」 ぼやいているのは息子の健吾だ。 前髪を固め上げて、デコッパチにしている額に皴を寄せている。 着慣れない詰襟が苦しいのか、首元に指を入れて少し緩めていた。 「何だよ?珍しく緊張しているのか?」 健吾は新郎新婦入場に際して、定番のメンデルスゾーン『結婚行進曲』を弾くことになっていた。 「ったり前だろう?俺は遊びで適当に弾くことしかやってないってのに……」 健吾は二歳の頃からピアノを始め、今でもサッカーの傍ら暇を見ては遊びながらにピアノを弾いている。  胎教など特に意識していた訳ではないのだが、息子はピアノの音色が生まれつき好きだった。 どんなに癇癪を起していても、不思議とピアノを聴かせれば落ち着いたのだ。 人前で披露して問題ないほどのかなりの腕前だと、親馬鹿ながらに俺は思っている。 「いいじゃない。出し惜しみしないで、ママの為だと思って、弾いてあげなよ」 一方で娘はまるでピアノに興味を示さなかった。 健吾と同じように習わせたのだが、まるで続かなかった。 同じ環境下にあっても、生まれ落ちた時から違っていたのだ。 健吾は益々顔を顰めた。 「ばぁか、これだから素人は。だからこそ下手なもんは聴かせられないってのに……」 音楽プロデュースを生業とする耳の肥えた透子を前にと言いたいのか、それとも敬愛する母を前にと言いたいのかよく分からなかったが、息子はぶつくさと独りハードルを上げている模様。 「そろそろお時間です。新郎様は花嫁様をお迎えに、皆さまは礼拝堂にて心静かにお待ちくださいませ」 ブライダルアテンダーの声を皮切りに、おしゃべりに花咲かせていた一同は誰もが口を慎んだ。 「しっかりな」 父は俺の背を痛いほどに叩いて、出て行った。 さぁ、何から何まで何故かお膳立てされてしまった挙式だが、ここから先は夫である俺の役割だ。 俺は気を引き締めて妻を迎えに向かった。
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