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第二章 運命
俺、新倉直人(27)の職業は、公立高校の数学教師だ。
人生に少々紆余曲折はあったが、見事に教員採用試験を突破し、このほど産休に入った桧山先生の代理で二年生のクラス担任を受け持つことになった。
「うちのクラスね、凄い子がいるのよ」
引継ぎの際に、音楽教師である桧山先生は、目を爛々と輝かせて俺にそう語っていた。
凄い子とは、泉透子のことだろう。
ピアニストを目指している女子生徒の噂はかねがね聞いていた。
なにより校舎に垂れ下がる横断幕に、彼女の名前は否が応でも飛び込んで来る。
「今回の全国大会出場もそうだけど、幼いころからコンクールを総舐めしている子でね、私も地区大会を聴きに行ったのだけれど、彼女が神童と呼ばれる所以が分かったわ」
何から何まで雲泥の差で他を寄せ付けない巧さだったと、桧山先生は褒めそやし、是非に聴きに行くと良いと、念を押されてしまった。
どうやら桧山先生は彼女にすっかり虜の様子で、更に身を乗り出した。
「成績優秀の上に容姿端麗、まさに絵に描いたようなお嬢さんよ。間違っても手を出さないようにね!」
俺を睨み上げる桧山先生の目はマジだった。
――JKなんて面倒くせぇもん、こっちから願い下げだっつぅの……。
万が一にも下手な噂を立てられ、職を失うリスクなど早々に負いたくはない。
全国大会もさることながら、俺の中では泉透子には一切関わりたくないと、強く念押しされたのだった。
「失礼します。体育の杉谷先生に申請書を提出に参りました」
職員室に顔を出したのがその泉透子だった。
事前にクラス写真を眺めて名前を確認していたから、彼女がそうだとはすぐに分かった。
凛とした白いユリをバックに背負っているかのような、清楚な雰囲気を纏う女子生徒だった。
――なるほど、容姿端麗ね……。
写真で見るよりもずっと見栄えるのは、彼女の物腰の一つ一つが丁寧だからだと気付いた。お辞儀の角度、歩き方、その一つ一つが洗練されていた。
揺るぎない自信――そうしたものを早くも身の内に持つ人間なのだろうと感心する。
「泉さん、こちら私の後任になった新倉先生ね」
桧山先生は泉から申請書を受け取りながら、俺に手短に説明を加えた。
「彼女は指を怪我しないように、球技の履修課目なんかには特別休講申請を提出しているの」
泉本人と、彼女のご両親の意向あってのことだという。
「それは、徹底して――」
運動音痴になりそうだな……。
思ったことが口を吐いて出そうになり、俺は慌てて口を噤んだ。
「そうなの、学校側も徹底して彼女を応援しているの。がんばってね、泉さん」
「ご理解、ありがとうございます。よろしくお願いします」
泉は少しばかり表情を緩めて桧山先生と俺に会釈をして職員室を後にした。
それが俺と泉の初見だった。
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