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日々是好日
散々に抱き倒して尚も飽き足らない、泉透子改め新倉透子は、そんな俺の心を弄ぶように、擦り寄って来た。
――くそっ、可愛い嫁を持つとジレンマが半端ない。
「透子、そろそろ起きないとまずい」
何がまずいって、俺がまずい。
今日は土曜日といえども、朝から体育祭を目前にした除草作業がある。
遅刻なんぞして、PTAに喧嘩を売る訳にはいかない。
そろそろぺいぺいは返上しても良いと思うのに、その扱いはどうも変わらない模様。
「透子さん、起きて」
昨夜、力尽きるように互いが眠りに就いたのは遅かった。
起こすのは忍びないと思うが、ボランティアの清掃活動に彼女自身がOGとして参加したいと告げていたのだ。
『久しぶりに『先生』の直人さんが見たいです』
それが彼女の希望する二十歳の誕生日プレゼントだった。
『日焼け対策で完全防備に覆面するから、保護者に紛れていても分からないと思うの』
買い求めたばかりのUVカット素材の帽子を目深に被り、そっと俺を伺い見た。
『職場に行っては、やっぱりダメですか?』
――くそっ、こんなんで俺の嫁は大丈夫なのかと本気で思う。
それでまぁ、少しばかり執拗に昨夜は抱いてしまったわけなのだが……。
思い出したことが仇となり、愛らしい寝顔に口付けしたくて堪らない。
代わりに形の良い鼻を摘まんで、自制する。
「俺の姫、起きてくれ」
「ふふっ、私、今日で二十歳になりました……」
寝ぼけ眼で、彼女は微笑を浮かべた。
「ん、知っているよ。おめでとう」
で、俺は直に三十路を迎えることになる。
「へへっ、ちょっと近づきましたね」
嬉しそうに甘えた笑みを零す彼女に、本気でジレンマが加速する。
――これは厄介だ……。
俺が弱い人間だと知っていながら、何たる仕打ち。
俺は断腸の思いで彼女を引き剥がした。
「透子さん、絶対に夜――いや、帰ったら速攻だ」
「速攻……?」
彼女は時計を覗いて、飛び起きた。
「な、直人さん、目覚ましを止めたのなら起きないと――もうっ!!!」
「す、すいません」
ワン切りの如く速攻で止めて、二度寝した俺の責任は重い。
そして、それは以前にもやって、叱られている。
「朝ごはん、食べている間がないのでおにぎりにしますね。お腹減ったら頬張ってください」
そして、覚醒した俺の嫁は頼もしかった。
「透子」
急ぎベッドを抜け出す彼女に、これだけは言わねばならないと手を引いた。
「二十歳の君も大事にする」
節目の決意表明だ。
慌てるあまりに髪を一筋銜えたままの彼女は、僅かに目を見張った。
そして、堪らないとするかのように戦慄く下唇を噛んだ。
少し強情な彼女の癖だ。
それに感受性が豊かなあまりに、心がすぐに満ち溢れてしまうのだろう。
瞳を揺らして、眩しいばかりに破顔する。
「はい、嬉しいです」
その笑みが俺の活力、ちょっと大袈裟に言うなら生きる意義だ。
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