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少しずつ、少しずつ、確かだとする証で日々を埋めていく。
それでもやはり時にはひび割れることもあって、それが直ぐに修繕できることなら良いのだけれど、どうすれば修繕できるのか、見通しさえ立たてられない時は、一体どうすればよいのだろうか?
私、新倉透子の今がそんな状況だった。
「え……っと、本当ですか?」
期待と不安よりも、不安でしかない心地で私は先生に訊ね返していた。
先生は先生でも、私の先生ではない。
産婦人科の先生――年若い女医さんである。
「ええ。まだ心拍が確認できていないけれど、あなた妊娠しているわよ」
サラサラとカルテを書きながら、一週間後にもう一度再検査に来るようにと先生は告げた。
そして、静かな目を私に向ける。
「『どうしよう』って、顔をしているけれど、大丈夫?」
「……はい」
「二十歳で出産は確かに世間的には早いけれど、医学的には早くはないわ。後はよくご主人と相談してね」
「……はい」
オウム返しのように『はい』しか言えないまま、私は産婦人科を後にした。
「……どうしよう」
なんせ、私はまだ学生の身の上だ。
結婚も早かったけれど、出産なんて早過ぎる。
産み育てるとなれば、当然にして大学は休学かあるいは退学だろう。
でも……そこは、こうなってしまえば仕方のないことだと、腹を括るよりないことだ。
問題は――。
「私が大学を卒業するまでは子供は作らないでくれって……言われていたのに」
私は額を抑えて項垂れてしまった。
そう、あれは婚姻届けを出した報告を兼ねて、新倉家にご挨拶に伺った時のことだった。
終始、義父は厳めしい表情を崩すことはなく、快く思われていないことは明白だった。
「至らないことばかりですが、これからどうぞよろしくお願いします」
かしこまって頭を下げるも、降り注いでくるのは無言でしかなかった。
けれど、私も退く気はまるでない。
どうあっても譲れない。
その意志が試されているのだと、絶対に俯かないと固く決めて、私はその場に臨んでいた。
先に目線を落としたのは義父の方だった。
そして徐に口を吐いた言葉がそれだったのだ。
結婚の次は子供――それはまぁ、当然にしてそこに考えが及ぶのだろう。
なのに私ときたら、そんなことは微塵も考えていなかったのだ。
まるで念頭になかったことに、私は直ぐに応えることが出来なかった。
自分の至らなさを早くも露見させてしまったと焦りが湧いた。
そんな当たり前のことも考えずに結婚を果たしたのかと、そう言われた気がして遂に俯いてしまったのだ。
そんな私の手を握り込んで、毅然として応えたのは夫になったばかりの先生だった。
「そこは、きちんと二人で考えて、責任を持って行動します。ご心配なく」
二人の間に火花が散った。
それでその後は、なんだかまるで喧嘩別れのようにその場を辞したのだ。
彼はそれまでもきちんと避妊をしていた。
私なんかよりも、よほど考えを持って行動していることは明らかだった。
本当に、思い起こしても何から何まで、先生任せの自身が厭になる。
私はそっと下腹部に手を添えた。
「ママ……なんだよね、私」
なんて頼りないママだ。
早くきちんとした大人になりたいのに、出遅れては、足を引っ張ってばかりいる。
情けなさに視界がぼやけた。
――しっかりしろ、私っ!!!
泣いている場合か?
今度こそ、俯かない。
「頑張るよ、ちゃんと頑張るからね」
私は頑張るしかないのだ。
だって、ママになったのだから。
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