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ハレの日
月日は百代の過客にして――などと感慨深く呟く年齢に差し掛かった俺は、欠伸を噛み殺して、リビングに降りて行った。
キッチンに立つ、見慣れていた筈の後ろ背には少しばかり違和感を覚えてしまう。齢を重ねるにつれて、どんどんと小さく見えるからだ。
「母さんだけ?透子は?」
「ふふっ、お父さんとウォーキングよ。透子さんに誘われたらあの人も行くしかないもの」
どうやら妻は父のリハビリに付き合ってくれている模様。
実家を少しばかり改築して、二世帯で住めるようにしたのは二年前のことだ。
親父が脳梗塞を患い、倒れたのを機にして俺たちは同居することにした。
その時は、幸いにして大事には至らなかったが、いつ何時の備えをするに越したことはないと切り出したのは、どこまでも出来た俺の嫁、透子だった。
『そろそろ私のお嫁さん振りも板について来たでしょう?』
そんな風に透子は軽く笑っていたが、思い切った決断だったに違いない。
頭が下がるとはこのことで、逆の立場であれば、俺に同じことが出来たか分からない。
「もう、朝ご飯はあなただけよ」
食卓に着けば、みそ汁が運ばれてきた。
誰が作ったのかは一目瞭然、透子だ。
「ブロッコリーって、みそ汁に合うと思う?」
俺は箸先でそれを拾い上げて、母に訊ねた。
「あら、別にいいじゃない。お出汁のCMで入っているのを見たわよ。色彩豊かな世代なせいね、きっと」
俺と十も違えば色々違ってくるわよと、母に窘められてしまう。
「それ、お祖母ちゃんにさっき、聞いたんだけどさ。母さんって、父さんと十八で結婚していたの?マジで?」
疑うような眼差しで俺に訊ねるのは、小学六年生の長男、健吾だ。
用意してあった弁当と水筒を鞄に詰め込んでいる。
「これからサッカーか?」
「そう。観に来たいんなら、十時半キックオフだよ。母さんにも言っといて」
小生意気だけどまだまだ可愛いこの王様は、俺のガキだった頃にそっくりな顔をして、多分、俺のことを友達かなんかだと思っている。
まぁ、数年前まで恋敵かなんかだったわけだが……。
「私、知っていたよ。パパとママって先生と生徒だったんだよね?」
俺の首に纏わりついて来たのは、長女の綾香。
健吾とは違い、父母の呼称は幼い頃のまま変わらない。
──健吾は小学校に入ったら急に変えてきたよな……。
中学を目前にして、小生意気さに拍車を掛けている健吾とは裏腹に、綾香はまだまだ甘えたいお年頃の小学三年生だ。
数年前まで将来の夢は俺のお嫁さんになることだったというのに、近頃では翔真君だの、陸斗君だのコロコロ変わっている。
透子に似た顔で、ポンポンと他の男の名前を口にしないで貰いたいものだ。
「ねぇ、パァパ、生徒のママを好きになっちゃったの?」
綾香は、応えるまで首をはなさない気でいる模様。
「まぁ、事実だよ」
健吾の引いた視線を無視して、ズズっと、話を逸らすように味噌汁を啜る。
意外にもブロッコリーは美味かった。
母が言うには、固めに触感を残す程度に茹でた後で、色鮮やかさを残すために温め直す時に入れるのだとか。
どうやら、今では透子に料理をレクチャーされる側になっているようだ。
房に含んだ出汁が、良い具合に口に広がった。
「ね?別に変じゃあないでしょ?」
「ん、割と合うもんだね」
「そうね……思い込みで、判断してはいけなかったわね」
そんな母の言葉は、何となくみそ汁だけを指した言葉ではない気がした。
子供らの話の流れがあったからそう聞こえただけかもしれないが、俺は、初めて透子を両親に紹介した日のことを思い起こしていた。
緊張から酷く畏まった様子の透子は、母からすれば、随分と幼いばかりの嫁に映ったのだろう。
「ねぇ、パパとママの結婚式の写真、見せてよ」
娘は痛いところを突いて来る。
先送りしていた俺たちの挙式は、そのまま挙げられることなく今に至っている。
出産と育児に追われ、その他にも透子の大学復帰やその後の就職活動といった諸々のことが重なり、まるで陸を目指してただひたすらに大海を泳いでいるような怒涛の歳月だった為に、後ろを改めて振り返っている間など微塵もなかったのだ。
「写真でなくていいなら見せられるけど……?」
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