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昭和の終わり頃、僕の小学校では給食を食べ切るまで帰らせてもらえなかった。皆が授業を受けている側でいつまでも食べていた。そういう時代だった。だから僕は嫌いなピーマンのせいでいつも帰らせてもらえなかった。皆と遊びたいのに。観たいテレビ番組があるのに。
しかしそんな地獄を味わった者が僕以外にもう一人いた。
彼女はピーマンの苦味が口いっぱいに広がらないようにチビチビと泣きながら食べていた。
給食にピーマンが出た日、僕らは必ず放課後まで残ってピーマンを食べていた。そして二人の間にはいつしか仲間意識が芽生えた。
いつものように二人で放課後ピーマンをチビチビ食べていたある日、彼女はこんなことを言った。
「美味しいピーマンは作れないのかしら。美味しいピーマンなら食べられるのに」
そもそもピーマンは不味いもの。どう調理されたって美味しいと思うことはない。そんなピーマンを美味しいピーマンにしたら食べられるんじゃないか?
彼女の一言で僕の探究心に火がついた。
いつか必ず美味しく食べられるピーマンを君と僕とで一緒に作ろう。そう固く誓い合った。
あの日の約束。
僕はその約束をいつ何時も忘れることは無かった。
農業大学、修士課程で研究を重ねようやく、子供でも苦味を感じずに美味しく食べられる今までとは違うピーマンの栽培技術を発明した。
僕は真っ先に、この研究に没頭するきっかけを作ってくれたあの彼女に久しぶりに電話した。
「あの日二人で一緒に作ろうって約束したから、美味しく食べられるピーマンを発明できた。君のおかげだよ。本当はこのピーマン、君と一緒に発明したかった。でも別々の高校に進学してそれからはなかなか連絡も取れなくなってしまって。本当に申し訳なく思ってる」
「遅いよ。ずっと待ってたのに」
「そうだよね。ごめん。確かにこの研究にものすごく時間を費やして遅くなってしまったけど、その甲斐あって発明したピーマンは苦味が無くてむしろ甘味を感じるんだ。それなのに栄養素は今までと全く同じ。この研究がさらに進めば、野菜嫌いな子供でも、多くの野菜が食べられるようになる。これは農業界に革命を起こし」
すると彼女は僕の話を遮って言い放った。
「そんなことどうでもいいわよ」
僕は動揺した。
「どうでも、いい?」
「もう大人なんだからピーマンなんか今普通に食べてるわよ」
「食べてる?じゃあずっと待ってたっていうのは美味しいピーマンの発明じゃないの?」
彼女はさらに強く言い放った。「そんなものじゃなくてあなたからの告白を待ってたのよ」
「告白?」
「そうよ」
僕は狼狽えて彼女を見た。
「君はあのときの約束を覚えてる?放課後二人きりで残っているピーマンをチビチビ味が出ないように食べていたあのときの約束を」
「覚えてるわ。一緒に美味しいピーマンを作ろうって。その優しさに私は救われたし、あなたのことを好きになったの」
僕は一瞬頭の中が真っ白になった。
「そうだったの?」
「一緒に作るっていうのは言葉の綾で、あなたと同じ気持ちを共有したい、ひいては付き合いたいってことでしょ?人の気も知らずに本当に美味しいピーマンを作るなんて頭の中がピーマンね」
「頭の中がピーマンって」
彼女はそう言い捨てると通話を切った。
そういうことだったのか。
僕は持っていた美味しいピーマンを力一杯握りしめた。
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