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会社のデスクの上でパソコンのキーボードを叩いていた涼一は、ふとディスプレイの時計を見た。午後一時。ここのところ残業続きの涼一は数日前のひどい酔いを今日まで引きずっていたものの、午前の業務をなんとか乗り切ったようだ。
そろそろ昼休みにするとして、涼一は後輩を伴ってオフィスの階下にあるカフェチェーン店へ入った。出社した際に「お時間をください」と言われていたので、社員食堂よりはカフェのほうがゆったりできると思ったからだ。後輩というのは、半年前に中途入社をしてきた野球児を彷彿とさせるスポーツマンタイプの男だ。
だが相手は涼一の気遣いとは裏腹に、ひどく居心地が悪そうだった。涼一が「あれ?」と思ったのもつかの間、腹をくくったという顔をして、言った。
「オレ、河野さんのことが好きです」
テーブルを拭き回っていた店員が、ぎょっとして顔を上げた。涼一と目が合い、物珍しさと驚きがブレンドした表情をさせながらそそくさと場を後にする。
(うそだろ……)
涼一は、数分前の自分の判断を激しく後悔した。もし告白されるとあらかじめわかっていれば、昼休みに会社のテリトリーにあるカフェなど選ばなかったのに──いやもしかすると、酒でなまくらになった思考のせいで、都合を聞いてきた後輩が出すサインを見逃したかもしれない。それに相手の立場なら、社歴十年の先輩を相手に「カフェはまずい」とも「仕事終わりのほうがいい」とも言いづらかったはずだ。
涼一は苦しい時間稼ぎのために、ゆっくりとグラスを持ち、水で唇を湿らせ、テーブルに置いた。どうすれば相手を傷つけずに申し出を断れるか──気づけそればかりを頭に思い浮かべている。
「……ごめん」
思考をこねくりまわした挙句、出てきた単語は結局シンプルな一言だった。相手はショックを受けた表情でこちらを凝視してくるが、涼一はこれ以上、言葉が思い浮かばない。
「理由はなんですか?」
しびれを切らした後輩が声をあげた。
「言ってくれないと、納得が……」
(きみが男だからだ)
涼一は言いかけた言葉を飲み込み、努めて誠実な表情を作った。
「きみはかわいい後輩だから……ごめんね」
涼一の言葉に、相手の表情が抜け落ちた。諦めた様子で席から立ち上がる。
「お時間いただいて、すみませんでした」
後輩は背を向けて、出口へ小走りになる。去り際、目元を袖で拭っていた。
いつもこうだ。こちらが好意を退けると、いつも相手を泣かせてしまう。だからこそ誰も傷つけない言葉を選んでいるつもりなのに、うまくいった試しがない。
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