夜のキザシ

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 8月17日。この日付も、あれから10回目になる。  14歳、中学2年の夏休み。俺たちは夜中にこっそり家を抜け出して、町外れの山に登った。10年に一度、夏の一時にしか咲かないという、キザシソウの花を見るために。  山間の小さな集落・木挿町(きざしちょう)のとある山にだけ自生し、〝見ると願いが叶う〟と言われたその花は、かつては町の住民しか知らない存在だったらしい。  どこからか噂が広がりテレビや雑誌で紹介され、30年前のピーク時には1か月で数千人が訪れるほどの一大ブームとなった。  しかし、10年に一度、夏の数日間だけの現象に対する熱が長続きする訳もなく、観光客は目減りしていった。  俺たちが見に行こうと試みた10年前の夏には、ピークの2割程度しか客はいなかったが、それでも大人たちの目は避けねばならず、いざ山頂に着いた時には日が上り始めていて、キザシソウの花も閉じていた。  肝心の花は見られなかったものの、深夜にひっそりと落ち合い、人目を忍んで山に登ったあの緊張感と興奮は、大冒険の思い出として今も胸の奥にこびりついている。  きっと、あんな夏は二度とやって来ない。  ここ数年は、いよいよ噂すら聞かなくなり、小さな町はすっかり元の寂れた田舎に戻った。  高齢者が半数を占める町に残されたのは、祭の後の虚しさくらいのもので、大人たちは今でも〝あの頃は…〟と昔の杵柄を撫で回している。  俺は夢なんか見ない。理想なんか追わない。現実を受け止めて、自分の手の届くものだけで堅実に生きていく。  〝もしも〟なんかは訪れない。あの約束だって、夏の終わり、あいつが越していった時に消えたのだ。
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