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午後9時。とっくに終電の行ってしまった駅の待合所には蝉時雨だけが響いている。
金曜の夜、帰りに無人駅へ寄って掃除や点検をするのが、ほとんど雑用係と化した町役場の職員である俺の役目だった。
落ちている葉っぱやゴミを拾い、ポスターの画鋲を刺し直す。今年咲くからと作らされたこのポスターも、大して人目に触れないまま俺が自ら処分するのだろう。
改札のすぐ横に立てた簡易の掲示板も、来もしない観光客用にと今年作り直した物だ。昔は、キザシソウを見て叶えたい願い事を紙に書いて貼るという、七夕じみたイベントも盛り上がったらしいが、ぼちぼち開花を迎える今時期になっても、掲示板には住民たちが貼っていった〝サクラ〟が咲いているだけだった。
使われもしない紙を補充し、ロッカーから箒を出してホームに抜ける。ざっと掃けば終了だ。
さっさと終えてしまおうと顔を上げた時、俺は自分の目を疑った。ホームの端に、人が立っていたのだ。
電車で来たとして、終電は夕方の5時。こんな時間に、あまりに不自然だ。 頼りない外灯の下に佇む姿は幽霊にしてはハッキリとしているが、生身の人間にしたって薄気味悪い。
突き出すとして、駅員か?いや、警察?駐在所のオッサン、何時までいたっけ。
ぐるぐると考えながら箒を手に恐る恐る近づいていくと、あるところでレンズのピントが合うようにハッとした。
「速水…?」
半信半疑の呼びかけに振り向いた顔には、確かに、かつての同級生の面影があった。
あの夏の夜、10年前の今日、山の上で約束を交わした張本人。
計り知れない驚きと言い知れない興奮に、頭のてっぺんまで鳥肌が立って、気付けば口を開いていた。
「あの約束ば、お前も覚えてたのか!」
言ってから、しまった・と思った。いくら何でも都合が良すぎる。 短い間とはいえ速水もこっちに住んでいたのだ。何か別の用で来たのかもしれない。 どう誤魔化そうか頭を悩ます俺をよそに、速水は、ふっと短く息を吐くように笑い、
「お前もって…じゃあ河瀬も?」
そう言って、右手でぐしゃりと前髪を掻き上げた。14の夏と、同じ仕草で。
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