ざくろをもぐ

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 ……開けるか。  標本を眺めて三日目の朝、本物のように弾ける様子もなく揺蕩っている卵巣に、掟破りを決める。歪な好奇心だとは分かっているが、本当に中身も柘榴のようなのか、確かめてみたかった。とりあえず、風呂場で叩き割れば。 「だめだよ、割っちゃ」  聞こえた声に驚いて振り向くと、古びた座敷に似合わないベドウィンの少年が立っていた。砂埃を浴びた褐色の肌にくっきりとした目鼻立ち、くたびれたチェックのシャツや砂色のパンツまで記憶のままだ。でも、あれからもう十五年は経っている。それに、それに。混乱しすぎて何から考えていいのか分からない。 「見た目が変わらないのも言葉が通じるのもここにいるのもそれを開けて欲しくないのも、理由は同じ」  少年は切り出して、まだ状況を把握できない私をじっと見据える。 「僕は君達が言うところの『地球外生命体』で、地球に派遣されたバイヤーだ。人間の記憶を装置に記録させて、母星に送る仕事をしてる。あの果樹園の管理人さ」  火星に生命体の痕跡が、とニュースになったのは私が子供の頃だ。あれ以来、政府はどこもかしこもずっと沈黙し続けていた。あれは「報せていない」だけだったのか。 「気づかないかな。腕に抱えてる『それ』が、装置を含んだ果実なんだよ。種は、データを保存するのに長けた仕組みをしていてね。柘榴型やいちご型は大量の種が体内に取り込まれるから、繊細な心のひだまで余すところなく記録できる。より立体的に臨場感を持って体験できる、最高級の果実を生み出す装置なんだ。日本人は大抵いちご型だけど、良質な記憶を提供してくれそうな人間を逃すわけにはいかないからね」  理解の遅さに苛ついたのか、少年は一方的に話を進める。 「なんのために、そんなことを?」  追加されていく情報に溺れそうになりながら、質問を投げた。 「簡単に言えば『現実逃避の夢を叶えるため』かな。この果実を摂取すれば誰でも、いつでも好きな時に『誰かの本物』を体験することができるんだ。安全にね」  欲しかった答えは与えられたが、衝撃を受けたのはそこよりも「摂取」だ。これを、食べるのか。平然と腕を組むその姿に、突如いやな疑いが湧いた。その姿は、ただ模しただけなのか。それとも。 「最初は同じ商売を母星内でしてたんだけど『知り合いが出てきて楽しめない』『現実と変わらない』って、売上がイマイチでさ。じゃあいっそのこと星を変えたらと思ってやってみたら、大当たりしたわけ。特に地球人の果実は人気だよ。不自由さやそれゆえの繊細さ、もどかしさがたまらないらしい」  少年は見た目にそぐわない下卑た笑みを浮かべたあと、思い出したように肩を落として溜め息をつく。薄い影が、日に焼けた畳に伸びた。これは、現実だったか。 「普通は装置を摂取した時の記憶は消えるし、収穫時にも分からないようになってるんだよね。今回はバグが起きたんだな」 「『収穫』には、今回みたいに物理的な切除が必要ってこと? じゃあ」  ようやく追いついてきた理解が弾き出したのは、悍ましい計画だ。でも少年は、そうだよ、と安堵に目を細めて歓迎した。 「僕らの技術協力なしに、君達がこんな速やかに人工臓器の量産なんてできると思う? ああ、代替品はちゃんとしたものだよ。取引は信頼関係が第一だから」  商売の相手は、沈黙を続ける連中だろう。いくら病変した臓器とはいえ、娯楽に消費されると知りながら許す……いや、そうじゃない。 「じゃあ、渡してくれるかな。気づかれた以上は、タダでとは言わない」 「ねえ。私は『あの柘榴を食べたから』、卵巣を切除することになったの?」 「記録を洗ってみたら、君の旦那さんはいちご型を摂取してたよ。二年で成長が止まったのと死体からの収穫だから、訳アリ品でずっと売れ残ってる。それをあげるよ。摂取するなり飾っておくなり、好きにすればいい」  私の問いには答えず、少年は取引条件を提示する。でも、嫌悪感が一層強まっただけだった。 「人の臓器を、そんな風に扱うなんて」 「君達だって、牛や豚に同じ扱いをするじゃないか。命の格とは、そういうものだよ」  どこからか取り出されたのは、手のひらサイズの粗末な保存瓶だった。中に収められたものは、白っぽく変色した眼球だ。……いつの間に。 「さあ、交換だ」  突き出されたそれに少しためらったが、どうしようもない。条件を受け入れ、溜め息交じりに交換する。 「未熟だから、摂取するなら裏の腫瘍部分を収穫するだけでいいよ。ただ薬品から取り出した果実は朽ちるしかないから、そこだけ忘れないでね」  少年は受け取った私の卵巣を、何重もの布で大事そうに包む。夫のものとは、扱いが雲泥の差だ。 「じゃあね。あとはどうぞ、お好きに」  含んだ笑みを浮かべて、少年は一瞬で消えた。
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