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「頼む、咲綾。別れてくれ」
言われた言葉が理解できなくて、フリーズしてしまう。全身の血が下がっていくようで、足元がふらついた。
「え、何……意味わかんない。頭あげてよ、直人」
冗談でしょ、と笑い交じりに言っても、直人は返事もせずに目の前で土下座をしている。人って本当に土下座とかするんだ、なんてどうでもいいことを考えた。
「なんで、だって……私たち、うまくいってたじゃん。何も問題なかったじゃん。なんで、今更」
「……ごめん」
「謝るんじゃなくて、説明してよ!」
「……咲綾を、傷つけたくない」
「はぁ!? それ言うなら今十分傷ついてるよ!! 納得できる理由が当然あるんだよね!?」
「……子どもが……出来たんだ……」
何を、言っているのだろう。だって、子どもが出来たってことは、つまり。
「浮気……してたってこと……?」
「違う!! 浮気じゃないんだ、信じてくれ!!」
「信じられるわけないでしょ!! 他に何があるって言うのよ!?」
「俺は騙されたんだ!!」
「はぁ!?」
信じられない。激情で目が熱くなる。愛してたのに。幸せになれると思ってたのに。泣きわめいて殴ってしまいたい気持ちと、今すぐ嘘だと言って抱きしめてほしい気持ちがない交ぜになって、その場にへたり込んだ。
「……話してよ。聞くぐらいは、してあげる」
直人は、結婚にあたって、私をよく知る人物に相談を持ち掛けた。その人物は親身に話を聞いてくれて、直人は気が緩んでしまっていた。結婚に浮かれた気分のまま酒を飲んで、気が付いたらホテルに連れ込まれていた。直人は拒もうとしたが、半ば無理やり関係を持たされてしまった。同意のない行為ではあったが、自分にも落ち度はあったとして、問題にしない代わりに二度と会わないことを相手に約束させた。
ところがその相手が、最近になって「妊娠した」と言ってきた。認知しなければ訴えると。そんな馬鹿なことはないと言い争ったが、同意があったかどうかの証拠はどこにもない。事実としてあるのは、彼女が妊娠したという一点のみ。このまま争うにしても、認知するにしても、時間も金もかかる。周囲にも良くない目で見られ、迷惑をかける。その汚点は一生消えることがない。だから別れて欲しい。
直人の言い分は、そういうことだった。
「何……それ……。そんなの、相手が、全部悪いだけじゃん……。直人は、全然、悪くない……」
「それでも、どんな理由があったにせよ、関係を持ってしまったことは事実だ。こんな状態で、咲綾と結婚することは出来ない」
「嫌だよ! 二人で、戦えばいいじゃん。そんな最低な女に、なんで私たちの関係まで壊されないといけないの!?」
「咲綾……」
「私大丈夫だよ、戦えるよ。二人で。だって、こういう時こそ支えあうのが夫婦なんじゃないの?」
「分かってくれ……。俺が、咲綾まで巻き込むのは耐えられないんだ」
「嫌、やだ!!」
「ごめん……」
「やだぁ……!」
泣きじゃくる私を、直人はずっと抱きしめていてくれた。このままずっと抱きしめていて欲しい。この人を失うなんて耐えられない。運命の人だと思ったのに。誰より、何より大切だったのに。
私の、一番だったのに。
泣き疲れて眠ってしまい、目が覚めると直人はいなかった。電話も繋がらず、連絡が取れない。きっとこのまま、私の前から姿を消してしまうつもりなのだ。
大丈夫だよ、直人。何も心配要らない。私が何とかしてあげる。あなたのためなら、私、何だって出来るから。
私はスマホの連絡先から、直人ではない人物を選択して、電話をかけた。
『――もしもし?』
相手はすぐに応じた。憎しみを押し込めて、いたって普通の声で話しかける。
「ねぇ、今日会えない?」
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