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あるアマチュア作家の憂鬱
平日の仕事をきっちりと定刻で仕上げ、仕事用の端末は全てオフに。趣味用のコンピュータ端末を起動させる。ここからの僕はアマチュア作家だ。
芸術、文芸、絵画、その他エンタメに類するものは特権階級の作る物のみが流通するようになって久しい。ごく平凡な生まれの僕は、けれどそういうものに憧れて趣味として文芸に勤しんでいる。ただAIを駆使して文筆家の真似をするわけではなく、立案から構成から自分の頭で考え、しかも文体出力は日本新古語を使うというマニアックなことをしている。得意な日本新古語は西暦二〇二〇年前後のものだ。この時代は世界的に疫病が流行し、どの国も経済的に停滞していた。日本ももちろんそんな様子で、経済は停滞し、政治汚職からの政治不信、メディア不信が蔓延、歴史的にも元首相暗殺などの大きな事件があった。そんな中、当時の日本では即時反映のマイクロブログが流行っていて、民衆たちはどんな大きな事件も笑いに変えてたくましく生きていたようだ。
ということを知っているのは、僕が大学で二〇二〇年代の日本文化を卒業論文のテーマとしていたおかげで、テーマをくれた教授は面白いものを教えてくれたなと思う。調べていくうち、当時のごった煮のエンタメの空気というものが本当に好きになってしまった。
できれば研究者として大学に残り、二〇二〇年代日本についてもっと研究をしたかったが、適性検査の結果、僕には研究者としての素質より手業者として働く素質の方が高いということが判ったので、僕は国家教育機関で機械のメンテナンスについて学び、そういう仕事をしている。
国家教育機関に行くなら大学に行くことは無駄だと思う人もいるかもしれない。僕自身も思う。思うが高校時の適性検査では管理者適性エリアにも手業者適性エリアにも研究者適性エリアにも数値が表示される、いわゆる「グレー」であったので大学に進むことを勧められた。ちなみに医療者適性はめちゃくちゃ低かった。大学で目にするなにもかもが面白くて楽しかったから、きっと僕は研究者適性が高いのだろうと思っていたから、手業者適性が高いと示されたときは少しばかり落胆もしたが、現代ではやろうと思えば在野でも研究ができないわけでもない。二〇二〇年代日本に想いを馳せるのは仕事がオフの趣味の時間に限ることにして、僕はこの現代を生きている。
それにしても日本新古語を使うアマチュア作家というのもいばらの道だ。まずそのまま読める人がほとんどいない。ウェブ上に掲載すればブラウザの翻訳機能で読み手にとって読みやすい言葉に変換されるが、やはり日本新古語を愛している者としては二〇二〇年代日本新古語のそのままの文体を味わってもらいたい。この時代の日本新古語はハイコンテキストなものとローコンテキストなもの、つまり負う背景の多い/少ない言葉がちょうどよいバランスで存在していて、すごく僕好みだ。二〇〇〇年代だと教育ベースの物を除けばローコンテキスト、つまり負う背景の少ない直截的な言葉が多いが、二〇四〇年代になるとハイコンテキスト、つまり負う背景の多い婉曲的な言葉が多くなる。ここから文化階層の分断が起き、となると歴史の勉強になってしまうが、とにかく二〇二〇年代日本新古語の語彙は楽しい。美しいとかでなくて申し訳ないが、楽しいことはいいことだと思う。
当時の文化を調べていると市井の人、アマチュアの表現者たちが作ったものを民衆たちは喜んで受け入れていたらしい。アマチュア作家という言葉もそのときに知った。当時のアマチュア作家たちに敬意を表し、僕は「アマチュア作家」という肩書を名乗る。なんとも笑えることに、当時のアマチュア作家たちも一部を除けばほとんどが人に見向きもされないまま作品を作り続けていたらしい。それでも作るというのが愛おしいし尊敬する。僕もそんなアマチュア作家たちのように日本新古語で文芸を綴っていこうと思う。
……まあそれはそれとしてたまにでいいから反応は欲しいとは思う。
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