あの日の約束

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あの日の約束

「ねぇねぇ、先生」 「んー?」 「俺ね、先生のことが好きかも」 「っ!?」  唐突な告白に、僕は飲んでいたペットボトルのお茶を吹き出しそうになった。それを見て、髪の色が明るい教え子はけらけらと笑う。僕はそいつをゆるく睨んだ。 「好きって、なに?」 「そのままの意味」 「そのままって……」 「先生と、いちゃいちゃしたいって意味だよう」 「馬鹿」  今は補講の真っ最中。  補講と言っても、プリントを三枚仕上げれば終わりの簡単な内容だ。理解力はあるのに出席日数が足りなかった、可愛い教え子のために、僕は時間を割いているというわけ。  教室には僕と彼のふたりっきり。だから、プリントと関係無い話がちょっとくらい出ても問題は無い。問題は無いけど……告白なんてものは、さすがに駄目だと思う。 「先生、恋人居る?」 「居ないよ」 「童貞?」 「馬鹿」 「馬鹿って二回も言った!」 「……早く、プリントを終わらせて帰りなさい」 「やだー! 先生ともっとお話ししたい」 「……」  彼はセットされた自分の髪を指でいじりながら言う。 「俺ね、将来はカリスマ美容師になるんだ」 「なら、その遅刻癖を直さないとね」 「カリスマは遅れてやって来るんだよ」 「遅刻ばっかりじゃ、信頼を得られないよ。カリスマになれるかな?」 「むう……分かった。じゃあ、先生が毎朝起こしてよ。愛のコールで」 「却下します。カリスマ美容師は朝日と共に起床して下さい」  けち、とくちびるを尖らせる彼を見て、今度は僕が笑った。  美容師か。しかも、カリスマ美容師。何となく、彼なら叶えそうな夢だと思った。 「ね、先生……」  少し照れ臭そうに彼が口を開く。 「俺ね……マジだから。だからさ……いつか、俺が美容師になったら、先生の髪を切らせてよ。約束……して欲しい」  可愛いな。  そういう約束なら……。 「もちろん。その時はよろしくね」 「……っ! ま、任せてよ! 先生の髪、めっちゃイケメンにカットしてあげるから!」 「ありがとう。さ、そのためには、まず高校を卒業しないとね。プリント、早く仕上げて」 「分かった!」  プリントに真剣に向き合う彼を見て思う。  教え子が夢を実現させたら、僕もきっと幸せだ、と。  無限の可能性を持つ彼は、どんな大人になるんだろう――。  僕はどこか懐かしい気持ちになりながら、プリントの空欄を埋める彼をあたたかい気持ちで見つめた。 *** 「いらっしゃいま……せ?」 「あ、ほんとに居た」  僕は彼を見て微笑む。  予約を入れていたヘアサロンに、彼は、居た。  あれから何年経ったのだろう。いや、そんなめちゃくちゃ経ってはいないな。その証拠に、彼には学生時代の面影がある。髪の色は当時よりも、もっと明るいけれど。 「な、何で……先生……?」 「髪、切ろうと思ってネットでお店を調べていたらね、偶然、君の名前と写真を見つけたから」  最近のヘアサロンって、SNSをやっているところが多い。  新しいところに行ってみようかな、とネットでぐるぐると探していた時、本当に偶然、彼のことを見つけたのだ。 「カット、お願いします」 「え、でも、先生、俺は……」 「いらっしゃいませ!」  奥から、これまた派手な髪型の男性が出て来た。 「すみません、彼はまだ新人で接客に慣れていなくて……二時からご予約の方ですよね? どうぞこちらに。私は担当の……」 「だ、駄目! 店長、駄目!」  急に大声を出した彼に、僕も店長さんも目を丸くする。 「おい、どうした……」 「先生の髪を切るのは俺なんです! だから、店長は触っちゃ駄目!」 「先生って……ああ、いつも言ってる好きな人ってこの方なのか!?」 「ああもう! 余計なことバラさないで!」  楽しいやりとりを見て僕は吹き出す。 「店長さん、彼、カットは無理なんですか?」 「はい。それにはまだまだ時間が……シャンプー等なら可能なのですが」 「じゃあ、シャンプーで良いですから、彼にお願いしたいです」  僕は彼に向き直る。 「ね、洗ってよ。僕の髪」 「……恥ずかしい。俺、先生にはちゃんとカットできる大人になってから会おうって決めてたのに」 「シャンプーもちゃんとした仕事じゃないか。ね、洗ってよ。それから……」  僕は彼の耳元で囁く。 「また伸びてきたら、前髪くらいならいじってくれても良いよ。僕の家か、君の家で」 「……え? また、会ってくれるの?」 「もちろん」 「俺、まだ先生のこと……」  好きだよ。  そう真っ赤になって言う彼に、僕は頷いて答えた。 「嫌いなら、予約なんか入れなかったよ」 「っ……! シャンプー! 一名様入りまーす!」  元気良くそう叫んだ彼を見て、店長さんが「ここは居酒屋じゃないぞ」とぼやいた。そんなことを気にする素振りを見せず、可愛い美容師のたまごさんは僕の手を引く。その手は、高校時代に見たそれよりも、どこかたくましく感じられた。 「先生、今日、時間ある? 話したい事がいっぱいあるんだ」 「ふふ、あるよ。お酒は飲める?」 「飲めるよ! いつまでも子供じゃないんだからね!」  僕をシャンプー台に寝かせた途端、彼の表情はさっきまでのそれとは変わった。  仕事中の、顔。  真剣な表情に、彼はもう社会人なんだな、と思った。 「先生、熱かったら言ってね」 「はい」  ――俺ね、将来はカリスマ美容師になるんだ。  ――先生の髪、めっちゃイケメンにカットしてあげるから!  あの日の約束が果たされる日。  それはそう遠くないに違いない。  僕の髪に触れる大きな手のぬくもりを感じながら、僕はそう思ったのだった。
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