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 郁也。  目の前に差し出された手が、涙のくっついた郁也の頬に触れる。顔を上げると、親しくなった隣人であるえみかの顔があった。 「えみかちゃん……?」  そう呼ぶと、彼女は小さく笑った。走ってきたのか、肩で息をしている。 「郁也」  えみかが、手に持っていたものを郁也に差し出した。  青い目のついた顔、頭のてっぺんには小さな冠。郁也が欲しくて仕方なかった、あの人形。 「郁也、遊んであげて。この子を、王子様にしてあげて」  青い瞳が放つ強烈な光を浴び、郁也は目を閉じる。そして頭の中の物語を話し始めた。  この目の光は、年に一度だけある青い月が出る日に空を包む光でーー。  えみかは黙って、郁也の話を聞いていた。郁也の中では当たり前なのにえみかには新鮮な出来事なのかと思ったら、どうやったら伝わるかと必死で頭の中から言葉を探した。人に思っていることを伝えるのは、こんなにも大変なのだ。  やがて、話を全て聞き終わったえみかは、郁也に微笑みかけた。 「郁也、それ、本にしたら?」 「え?」  えみかをまじまじと見つめる。彼女は真剣だった。 「私も小さい頃にね、色んなお話を頭の中で考えたよ。今でも考えてる。細々とだけど、ネットで本を書いてるんだよ。ねえ、郁也。言葉を巧みに使って思いを伝えるのって、楽しいよ」  郁也の中には、本を書くものとして捉えるという概念がなかった。だから、えみかの言葉が強烈な衝撃を伴って胸に突き刺さる。  ああ。  郁也はたぶん、本を書きたかった。この素敵な物語を、何かに落ち着けたかった。 「うん、書くね」 「もしも書けたら、読ませて。約束だよ」 「うん、約束する」  郁也のような物語を知っている大人。郁也の紡ぐ物語を、社交辞令ではなく真剣に「読ませて」という大人。そんな人は、郁也が知る中ではえみかだけだ。けれどきっと、お話を書く人は、少なからずそうなのだろうと思う。  郁也はえみかから人形を受け取り、呼び掛ける。 「王子様」
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