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 郁也たちが越してきてから二週間ほどたった日、郁也とその母が正装で家に入ろうとしているところに偶然居合わせた。  私が会釈すると、向こうも私に気づいて足を止め、そのまま立ち話に雪崩れ込む。 「郁也、これから春休みなんです。今日は修了式で。私は迎えに行ったので」 「へえ。親のお迎えなんてあるんですか」  私の頃はなかったような、と感心して聞いていたら、郁也が小さく「ないよ」と言った。  首を傾げる私に、彼は早口で付け加える。 「本当はないのに、お母さんがなぜか来たの」 「そうなんだ」  その時ふと気になって、私は尋ねる。 「あれ、お父さんは一緒じゃないんですか?」  以前から、気になってはいた。飯原家は、家族が三人とも揃っているのを見たことがない。よほど多忙な人なのかと思いを巡らせる私に、郁也が言った。 「いないの。昔、どっかに行っちゃった」  その瞳が、あまりにまっすぐだった。何も言えない私に母親が苦笑して、話題を変える。 「これから春休みなので、ちょっとお出かけに」 「へえ、どこ行くんですか?」  その話に私が乗ると、彼女は郁也を見ながら話し始めた。 「郁也、ちょっと変わってるんですよ。我が子ながらしっかりしていて、発達障害というわけじゃないんですけど、周りに馴染もうとしなくて」  ああ、それはそうだろうな、と私は納得する。かつての私もそうだったのだ。私の母は、交友関係に関しては無頓着な人だったのでその点に関してとやかく言われた覚えはない。けれど、郁也の母は彼女なりに心配しているのかもしれなかった。 「だから、今度ある『みんなで味わう自然の味』っていう、まあ要するに、色々な子達とキャンプに行くんですよ」 「そんなのがあるんですね。全然知りませんでした」 「千葉にある、みなみざかキャンプ場っていうところで。結構広いところらしいですけど」 「へえ」  頷きながら、私は郁也を盗み見る。案の定、彼は一見無表情に見える顔にわずかながら翳りを落として俯いていた。  人付き合いが苦手な彼には過酷だろう。他人事ながら心配になる。 「そっか。郁也君、頑張ってきてね」  私は、楽しんできてね、とは言わなかった。  それに、郁也は小さく頷く。その瞳が、あの王子様の綺麗な青い目を思い出させた。
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